北海観光節小さな旅行記知床32時間

幻の東知床市

中標津は養老牛温泉がよく知られているが,市街地にもいくつも温泉がわき出ている湯の町である。

中標津保養所温泉旅館に向かう。交通センターから約3kmほどで,住宅地のはずれにある。

ここは素敵な温泉旅館で,昨年3月,4年間住んだ釧路を離れることになったとき1泊2日で釧路・根室管内を旅行したのだが,そのときの宿にわたしはここを選んだのである。

湯殿は源泉かけ流しで,野趣に富む露天風呂が素晴らしい。ほかに客はなく,久々に大きな風呂を堪能した。

朝食時なのに食堂が閉まっていたところを見ると,宿泊客がいたのがどうかは疑わしい。今回の旅行も中標津あたりに宿をとることを考えたのだが,この知床ブームの折では,どうせ満室だろうからと断念したのだ。しかし,どうやら知床効果は中標津にまで及んでいないらしい。

中標津町は羅臼町との合併を目指し,新市名は全国公募により「東知床市」に決定していた。当時わたしはなぜ中標津という既に確立されたブランドネームを捨てるのかと反感を持ったのだが,今にして思えば,東知床市になっていれば少なからず知床ブームの恩恵にあずかることができたのではないかと思う。北海道では名が通っている中標津も,全国的にはまだまだ無名で,空港も「根室中標津空港」とわざわざ根室の名を冠しなければ認知されないのが現実である。

湯上がりに中標津産のヨーグルトを飲む。

 

中標津の人口は2005年の国勢調査で23792人。戦後は一貫して人口増加を続ける特異な町であり,ミニ札幌,リトルトーキョーなどと称されている。

旧国道沿いには,長崎屋,はるやま,青山,ツルハ,ケーズデンキ,ゲオ,ハローマック,東京靴流通センターと,ありとあらゆる量販店が集積している。釧路にいたころも,中標津でなければ売っていないものがあり,わざわざ車で1時間半をかけて買い物に来たものだ。

そして,その商業ゾーンの牙城として威容を誇っていたのが昭和48年に開店したスーパーマーケット「東武」だった。中標津が根室市を差し置いて根室支庁管内の中核都市として発展していたのは一に東武の影響力だといって過言ではない。

しかし,東武は昨年7月に郊外のバイパス沿いに移転し,旧店舗跡地は更地になっていた。たしかに中心街にあった店舗では駐車場も狭く限界に来ており,近年釧路にできたイオンやボスフールに対抗するためには郊外移転しか道はなかったのかもしれないが,これによって中心街がどうなるのか心配である。

量販店の進出により従来型の商店はほとんど消滅しているが,開拓時代の名残をとどめる雑貨屋が1つだけ元気に営業していた。

中標津9:35発→羅臼本町10:57着 阿寒バス 釧羅線

 

黒板五郎氏も乗ったとされる羅臼行きのバス。釧路市立病院と羅臼営業所を約4時間かけて結ぶ長距離路線である。

標津市街通過。東知床市を目指した中標津町と羅臼町に挟まれつつも合併を拒んだ誇り高き町である。街路樹のある町は文化のある町だというが,この町は街路樹がきれいに整備されている。

旧根室標津駅前通り。

 

標津営業所で観光客8名が下車し,白鳥台行きのバスに乗り換えていた。

阿寒バスでは本日7月22日から8月20日の間,釧路発着で尾岱沼と野付半島を散策するバス・遊覧船のセット乗車券(5600円)を発売しており,8名の観光客はみんなこれを利用しているようである。

バスに残された乗客は2名となり,いよいよ知床半島の海岸線に入る。

網走バス,斜里バス,阿寒バスとJR北海道では知床を巡る定期観光バスを運行しているが,そのすべてが斜里〜ウトロ間の国道335号を往復するもので,羅臼に至る定期観光バスは1本も存在しない。したがって,公共交通機関で羅臼から知床に入ろうと思えば,このバスを利用するほかに方法がないのである。それなのに車内はずいぶん寂しい状況である。

バスはバイパス化された国道から外れてこまめに漁村に寄っていく。

地吹雪が激しいのだろう。幌萌〜運動公園の羅臼峠にはシェルターが4つ連なっていた。

羅臼に着く頃には運賃表示器が満杯になった。釧路からの運賃は4740円。

羅臼本町で下車。

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