2007.6.2(土)
この日,北海道音楽大行進の見物と併せ,前回見逃したアサヒビルの1階や上川離宮予定地を訪ねたので,ここに報告する。なお,本ページの写真掲載順序は実際に訪れた順序と異なっている。
まだまだ健在のアサヒビル。
1階の売り場。テナントはまだ全部営業していた。
切手商は「いけの」からチェリースタンプに変わっていた。
前回閉鎖されていた駅側の階段から地下に下りる。バナナ焼きの「だるまや」には行列ができていた。昭和26年創業というから,ビルができる前からある老舗だ。
旭川駅前を東西に走る通りを宮下通というが,この「宮」というのがすなわち上川神社のことで,駅裏を流れる忠別川左岸の丘に,旧県社・上川神社はある。
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上川離宮予定地 | 上川離宮宣達書碑 |
明治22年12月28日,時の内閣総理大臣山県有朋は「北海道石狩国上川郡の内において,他日一都府を建て,離宮を設けらるるに付き,夫々計画施設すべし」という宣達を発している。これを受け道庁が調査して離宮予定地に定めたのが,現在の上川神社の辺りだった。この際,旧神楽町,東神楽町の一帯が帝室御料地に編入されており,JR富良野線にある西御料という駅名はその名残である。
昭和4年,北海道招魂社(現・北海道護国神社)の例大祭に合わせて「慰霊音楽大行進」として実施されたのが始まりで,全国最大規模といわれる吹奏楽のパレードである。昭和49年に名称を「慰霊」から「北海道」に変更,昭和59年にはコースを旧師団通から永隆橋通に変更,そして平成14年には護国神社祭に合わせて6月5日に固定してきた開催日を,「6月上旬の週末開催」に変更した。こうして軍事的色彩は薄らいできているものの,その成り立ちから現在でもなお「軍都旭川」を象徴するイベントとして語られることが多い。
記憶が定かでないが,北海道音楽大行進を見るのはたしか小学5年の時以来で,今日は20年ぶりの見物である。
9時過ぎにJRで旭川駅に向かうと,商業高校の吹奏楽部が練習しているのが見えた。
パレードは12時に幼児の部が市役所横をスタート。その後やや間隔を空けて,13時17分,一般の部の第一陣が2条通までやってきた。
わが母校,上富良野町立上富良野小学校。我々の頃とは比較にならないくらいうまい。
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北鎮小学校 | 大有小学校 |
学校の由来を反映してか,兵隊風の衣装である。
北門中学校
学校関係の最後は旭川商業高校。
トリはやはり自衛隊。第2師団(旭川)と名寄,留萌,遠軽,上富良野の各音楽隊合同での演奏だ。
16時過ぎ,最後の旭川吹奏族が宮下通に到着。幼児の部の始まりから3時間半を要した。
今年は97団体4300人が参加。昭和40年代には1万人を超えていたという参加者も,少子化の影響などで減少傾向にあったが,ここ数年はまた増加してきているという。ただ,中によさこいをとりいれている学校が2校あったが,よさこいだけはやめてほしいものである。
パレード終了後は平和通買物公園の随所でアフターコンサートが行われていた。
読んでいただき,どうもありがとうございました。