北海観光節小さな旅行記滝上の7つの体験

林鉄オシラ線

引き続き鉄道跡の道路を行く。

渚滑川本流を渡る鉄橋跡。かつて道路には橋がなく 市街地に行くには北側の稲見峠を越える必要があったため,住民が森林鉄道の橋を歩いて渡ることもあったという。

網走西部森林管理署西紋別支所。もとの滝上営林署である。滝上にはこのほか,濁川に北雄営林署があった。1つの市町村に2つの営林署があったのは,ほかに旭川,上川,下川,南富良野,芦別などがあるが,滝上は典型的な国有林を主体とした林業のまちであった。町域の90%は山林で,うち85%を国有林が占めている。

滝上の市街地はとりあえず通過し,次は濁川に向かう。国鉄渚滑線の線路跡が見えてきた。この付近は国鉄線と森林鉄道の線路が並行して走っていたという。

道の駅「香りの里たきのうえ」でトイレタイム。

バスは緩やかなカーブを描く砂利道に入った。これも森林鉄道の跡。

製材工場の貯木場。最盛期に比べると風前の灯の林業であるが,町内にはまだいくつかの製材工場が残っている。下川のように有名ではないが,UターンやIターンで林業関係の業種についている人たちも少なくないという。

濁川市街地。滝上の市街地とは2kmほどしか離れていないが,営林署も別にあったというだけあって,独自の気風を持つ集落だという。しかし過疎化は著しく,小学校の児童数は6人にまで減っている。

昭和60年3月限りで廃止となった国鉄渚滑線の濁川駅跡。駅舎はそのまま残っていた。

公民館の前で下車し,説明を受ける。

 

ここが濁川森林鉄道の起点で,付近には機関庫があったという。

終戦直後の米軍撮影の空中写真で位置関係を説明してくれた。国鉄濁川駅の東西に大きな貯木場があり,貯木場には国鉄線と森林鉄道それぞれから引き込み線が延びていたことがわかる。

次は,オシラ線跡をさかのぼる。現在雄柏(ゆうはく)という地名がつけられているが,もとはオシラネップ(磯多き所,川尻に岩のある川)というアイヌ語で,雄柏熱布と当て字されたところ雄柏と略され,さらに読みが音読みに転化したものだろう。なお,濁川はオシラネップの枝川オヌプキヨプを誤って濁川と訳したもので,実際に濁った川があるわけではないようだ(更科源蔵著「アイヌ語地名解」)。

国道から約4kmさかのぼった橋脚跡に到着。

 

非常に頑丈そうな橋脚で,何度も遭ったであろう水害にもよく耐えてきたものである。橋脚の形状からすると複線だったのではと思われるが,写真では単線である。当初は橋桁が木だったので,このような橋脚になったのではないかと説明があった。

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