北海観光節旅行記九州吹雪

グラバー園

出島はほどほどで切り上げ,築町から再び市電に乗車,1駅目の市民病院前で下車。

オランダ坂

かつて「オランダさん」と呼ばれていた外国人が歩いてたことから名付けられた石畳の道。

東山手洋風住宅群

 

旧外国人居留地に建つ洋館。眺めの良いところに建っている。

孔子廟・中国歴代博物館

函館の中華会館の規模を大きくした感じだろうか。

国宝・大浦天主堂

 

国内最古の木造ゴシック様式の聖堂。

グラバー園

次はいよいよグラバー園。

 

入場券を購入して動く歩道に乗る。さすが国際的観光地長崎は,元日から賑わっている。

旧三菱第2ドックハウス 旧ウォーカー住宅 旧長崎地方裁判所長官舎

長崎港を見下ろす小高い丘に9棟の歴史的洋館が集められている。

三浦環像 プッチーニ像

三浦環(1884〜1946)は明治の末から戦前にかけて活躍した国際的なオペラ歌手である。大正3年ドイツに留学し,作曲家「プッチーニ」に見出されてオペラ「蝶々夫人」が当たり役になり,世界各国で2000回の上演を成し遂げた。

「蝶々夫人」は長崎を舞台にした,没落藩士令嬢の蝶々さんとアメリカ海軍士官ピンカートンとの悲恋物語で,像は我が子と一緒にピンカートンの帰りを待つ蝶々さんの姿を表現している。


わたしはオペラといえば内海桂子・好江のアリアと篠原ともえの三文オペラしか見たことがなかった。FMラジオでもオペラが始まると耳障りなのでスイッチを切った。

それがどういうわけか,この1年,オペラ歌手の三浦環に大変な関心を持つようになった。きっかけは昨年1月29日にNHKで放送されたビッグショー「古関裕而・青春 涙 哀愁」だった。その中で作曲家の古関裕而,シャンソン歌手の高英男さんとNHKの酒井広アナウンサーとの間で次のようなやりとりがあった。

音丸
酒井アナ 「ところでリサイタルで(古関)先生の作曲した『船頭可愛や』をお歌いになるのだとか」
 「ええ,この5月にね,この名曲を。こういう名曲をですね,外地に行きますときにやっぱり歌って。日本の名曲ですからね。いい歌ですから勉強させていただいております」
酒井アナ 「あの三浦環さんなんかも」
古関 「ええ,そうなんです」
 「三浦環さんも素敵に歌っているんですよ。音丸さんもうまいですけど,三浦先生はすごいんです。少年の日の思い出でございます」

「船頭可愛や」は昭和10年8月,音丸さんがレコードに吹き込み,古関裕而初の大ヒットとなった。折しも三浦環は昭和11年,20年に及ぶ海外生活にピリオドを打ち帰国。そのとき偶然ヒット中の「船頭可愛や」を聴いて感動し,「これは素晴らしい。ぜひ私も歌ってレコードに入れたい」と懇願し,青盤レコードで発売されたのである。

いまの時代,三浦環の歌を聴こうと思ってもなかなか困難なことである。ところが,9月になってコロムビアから「コロムビアレコードのお宝音楽」というCDが発売され,この中に蝶々夫人のアリア「ある晴れた日に」が収録されていた。

これはすごい,オペラが生きているのである。邦楽なんかもそうだが,いまラジオで聴くことのできる小唄,端唄などは堅苦しくて聴いてて疲れてしまうが,同じ曲でも明治生まれの市丸さんなどが歌うともうとてつもなく美しく艶のあるものになるのだ。オペラも恐らく同じで,いまのオペラがお経のようにしか聞こえないのは当たり前で,昔のオペラはもっと楽しいものだったのだ。

10月に東京に行った際,浅草寺の北にある老舗のレコード店に立ち寄った。店にはいわゆるSP盤よりもっと古い時代の機械吹き込みのレコードがたくさん置いてあり,ご主人がいろいろ見せてくれた。その中で三浦環のレコードを見つけたので,わたしが反応すると,「売ることはできないが,三浦環ならそこにある」と言って,棚の上に飾りのように置いてあったCDの全集を見せてくれた。何と6枚組のCD全集が出ていたのだ。

三浦環

「売れると思って店に置いたんだが,まったく売れないので店で永久保存することにした」

とのこと。三浦環ほどの歌手のCD全集が浅草のレコード店で売れなかったと聞いて寂しさを感じた。

その足で,神田の古書店に行くと,今度はまた偶然に三浦環の伝記本が目に入り,これはすぐに購入した。生涯乙女のような生き方を貫き,亡くなる40日前にNHKのスタジオで吹き込んだ録音はまるで少女のように澄んだ歌声だった。なお,この最後の録音にはNHKのオーディションに合格したばかりの高さんが偶然立ち会っている。

見学コースの最後にある旧グラバー住宅。

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