北海観光節旅行記東日本縦断旅行

特急いなほ

村上駅到着。ムーンライトえちごが発着していたのも,いまは昔。

19時30分。紅白歌合戦が始まる時間だ。

村上19:37発→鶴岡20:39着 特急いなほ11号

列車は定刻でやって来た。去年は,このいなほが運休したがために,羽黒山行きをあきらめたのである。今年もニュースでは各地の大雪の様子が聞こえてくるが,これまでの行路上は天候に恵まれている。

村上駅を出て間もなく,デッドセクションを通過。

今年も残すところあと4時間。振り返ってみると,この10年間は,地元で過ごした平成16年を除き,毎年列車の中でこの時間を過ごしている。最初に年末の旅行に出たのが,就職1年目だったから,就職して今年でまる10年ということにもなる。いろいろあったが,あっと言う間の10年だった。

鶴岡駅到着。年末の仕事を終えて帰省する若者たち。ご苦労様。

鶴岡駅では,助役さんが一人で窓口の番をしていた。オレンジカードを購入したついでに,夜中も待合室が空いているか尋ねると,今日は上りの日本海とあけぼのが大幅に遅れる見込みのため,待合室はずっと空けておくとのことだった。

鶴岡駅前にあった「雪の降る町を」歌碑。「雪の降るまちを」「雪の降る街を」とも表記される。鶴岡市と旭川市がこの歌の舞台であることを主張しており,双方に歌碑が建立され,歌にちなんだ音楽祭が毎年開催されている。

しかしながら,この歌がヒットしたのは,作曲者・中田喜直の指名で歌うことになった高英男の功績が大きく,

「シャンソンの合間に,それこそ毎日のように必ず歌っていたんで,徐々に当たっていったんです。『雪』っていうと僕は生まれ故郷の樺太を思い出すので,とても歌いやすかったんですね。ところが歳をとるごとに,この歌の大きさを実感するようになって,迂闊に歌うと大変なことになってしまうような,あまりに立派な尊い歌だと身に沁みて思うようになりました」(『高英男ワンマンショウ』,新風舎,2005)

と語っている。その高英男の存在を無視して歌碑が建てられたり,音楽祭が開催されているのは残念なことである。

エスモール21:40発→羽黒山頂22:30着 庄内交通 羽黒山頂行き

いよいよ年越しスポットの羽黒山頂へ向かう。エスモールから乗車したのは,女性のグループ4人と,若い2人連れ,それに私の計7人だった。

出羽三山神社の参拝客向けに,大晦日から元旦にかけて3往復の臨時バスが運行される。

鶴岡駅からは老婆と娘さんの親子が乗車,日吉町から中年の夫婦,銀座通りで青年1名,天満宮前から夫婦,苗津荘銀前からアベック,黒瀬で夫婦,羽黒庁舎前からも夫婦1組が乗車と,バスはこまめに乗客を拾っていった。

大鳥居を通過。

手向(とうげ)の宿坊街を通過。

バスはさらに参道入口の羽黒センターで3人の家族連れを乗せ,そこから険しい上りに差し掛かった。

羽黒山中腹の休暇村羽黒で6名が乗車,いよいよここで車内は満席になった。登山道路も渋滞が始まった。

羽黒山有料道路料金所。ここから約2キロメートルで山頂に至る。

22時38分,定刻よりやや遅れて羽黒山頂に到着。平成15年12月29日以来,7年ぶりの羽黒山である。

駐車場には露店も出ていた。羽黒山は,ぴりぴりとした緊張感のある神社の神域と,レストハウス周辺の俗界が明瞭に区分けされている。

杉並木の参道を進むと,しだいに神聖な雰囲気になってきた。

手水舎。

鳥居の先は,いよいよ出羽三山神社の神域だ。

次へ