予定では21時16分発の旭川行きに乗るはずだったが,およそ1時間遅れの便となった。この程度の遅れは想定内で,札幌駅で旭川行きの最終に乗り継ぐことができる。
いよいよ旅も終わりである。旭川には早めに着きたいと思っていたものの,結局,最終列車に乗ることになった。出発したのが12月28日であるから,足掛け7日間の旅行となった。
接続列車の遅れ待ちのため札幌駅を5分遅れで発車した。
岩見沢付近から,吹雪のため徐行運転となった。
砂川駅では,視界不良のため前方の信号が確認できないということで,しばらく停車した。信号が見えないとは,相当荒れている様子である。
2013年1月3日(木)
定刻23時49分発のところ,51分遅れで運転を再開した。
そして,滝川駅で再び視界不良により信号が確認できないという理由で発車ができなくなった。
ああ,これはもう今夜は泊りだなと観念して,空気枕をふくらませて眠る態勢に入った。
特急料金が払い戻しとなる2時間以上の遅れとなることが確実で,真夜中に駅に着いても仕方がない状況では,朝まで列車を動かさないのがむしろ合理的な判断だと思う。
その後のことは,よく憶えていない。半分眠りながら書いたメモによると,2時15分にペットボトル入りの水が配布された。同時に,本当かどうかわからないが「3時以降の発車に向け,社員が懸命に除雪中」という,やや芝居がかった放送が入った。
2時53分,滝川〜深川間で除雪を中止しているという放送が入った。これを最後に,朝まで放送は途絶えたように思う。
文句を言いだす乗客もなく,安眠を妨げられなかったのは不幸中の幸いだった。
5時51分,滝川で運転打ち切り,滝川〜旭川間はバス代行に決定したとの放送があった。
そしてバスが到着しだい乗換となるので,降りる準備をするように告げられた。
6時ちょうど,バスの準備ができたとのことで,移動を指示された。
ホームの大屋根の下にある時計も雪がびっしりで,夜中の吹雪が尋常でなかったことがわかる。
代行バスは2台で,どちらでも好きな方に乗るよう案内された。
滝川を6時20分に出発。バスの中で,おにぎりとお茶が配られた。おにぎりが足りなかったようで,途中でローソンに寄って車掌さんが買い足していた。
車掌さんは,新米らしい2名が乗っていた。本当は乗る予定でなかったらしく,かなり疲労した様子だったが,運転手さんに到着予定時刻を聞いて案内していた。深川までは約1時間と,運転手さんが言った時間の倍ぐらいに鯖を読んで案内していたが,結果的にはかなり良い読みだった。
深川駅7時20分着。9名が下車。
深川駅は幹線の国道12号から国道233号を4kmほど入った場所にあり,旭川へは納内を経て神居古潭で12号線に合流するのが通常のルートとなる。しかし,この状況では道道は危険だという運転手さんの判断で,いま来た233号を引き返して12号線に戻った。
国道12号に合流し,旭川方面に折れる。道央道は士別剣淵IC〜江別東IC間が「ユキ通行止め」と出ていた。
我々のバスは2号車だが,前のバスが激しく尻を振り蛇行してるのが見えた。バスというのは,こんなに蛇行するものだったろうか。
たまに来る対向車は,ほとんどがハザードランプをつけて走っていた。視界不良のときにもハザードランプをつけるものだということを初めて知った。というか,身の危険を感じて本能的につけているのだろう。
7時48分,バスもついにハザードランプを出した。
やがて,対向車もなくなった。運転手さんは「対向車が来ないのがおかしい」と言った。
国見峠下の出合沢バス停付近では,速度が10km/h程度まで落ちた。
神居古潭の峡谷に入ると,視界はやや良くなったが,天下の12号線も獣道のようで,後にも先にも我々のバス以外に車はなかった。
深川から1時間を経て,旭川のまちなかに入った。
バス停には,バスを待つ多くの人たちの姿があったが,路線バスはまったく走っていない。
バスをあきらめて,道路を歩く人もいた。
目抜き通りの1条通りにも,車道の真ん中を歩く人の姿があった。何か,昭和の初めにタイムスリップしたような風景だった。
8時45分,定刻の8時間25分遅れで旭川駅前に到着した。バスから降りると,きっぷに「2時間以上の遅れなどにより特急料金を払い戻しいたします」の証明印を押してくれた。
早速,払い戻しに行くと,なぜか一番乗りだった。列車は全線運休のため,電光掲示板は真っ暗。
駅の中は,さながら避難所のような様相を呈しており,写真を撮れる状態ではなかった。
30分ほど駅の中で待ってみたが,バスもタクシーも動き出す気配がまったくない。
しかし,考えてみれば,家までは歩いても1時間あれば着くはずである。熊野古道で1日中歩いておいて,ここでたかが1時間の歩きを躊躇する必要がなぜあろう。
折しも,開店が遅れていたキヨスクがようやく開いたので,「北海道」と大きく書かれたファスナー付きの大きな袋に,お土産を詰め込み,駅を徒歩で出発した。
宮下通をひたすら西へ歩く。高砂酒造も雪に埋もれていた。
アパートの壁も真っ白。いくら旭川とはいえ,こんなシベリアのような景色は見たことがない。
住宅街に入ると,道路の重機による除雪はまったくされていなかった。それでも,町内会がしっかりしているところは,住民総出で除雪をしていた。
一方,まったく未開の道もあった。
旭川駅から歩くこと1時間弱で家に着いた。
結局この日は,JRも路線バスも終日運休。札幌〜旭川間の特急運行が再開されたのは翌日の夜のことであった。
この冬の豪雪による痛ましい事故を思うとき,無事に帰って来られたことを,幸せに思う。
旅行記終了。読んでいただきありがとうございました。