まずは何も考えず,いちばん先に来たバスに乗ってバスセンターへ。
盛岡バスセンターは健在。
バスセンターから徒歩10分で盛岡八幡宮へ。
3年ぶり4回目となる盛岡八幡宮での初詣である。
相変わらずお守りの種類は多い。
おみくじもたくさん。
中三デパートはNanak(ななっく)という商業ビルに変わっていた。
循環バスで駅に戻る。盛岡の滞在時間は2時間24分なので,あまりゆっくりもしていられない。
沖縄では荷物の関係もありお土産は何も買わなかった。ここでお土産をどっさり買い込む。
秋田から来た車両には「ありがとうこまち」のステッカーが貼られていた。1997年の秋田新幹線開業以来「こまち」として運用されてきたE3系0番台は,今年3月のダイヤ改正をもって秋田新幹線の運用から外れるそうだ。
このところ5年続けて買っている岩手日報の元日号。今年の1面は,滝沢村の市制施行と三鉄の全線開通の記事だった。
14時54分仙台到着。
仙台駅からさらに在来線で30分ほどのところにある大叔母の家を訪ねた。5年ほど前から年に1回くらいは訪ねて,昔の話を聞いている。祖父のすぐ下の妹にあたる人だが,祖父は昔のことを語らない人だったので,今更ながらに知ることがたくさんある。私が5歳の頃,一度だけ曾祖母にひどく怒られたことがあったが,そのわけも曾祖母を母親として育った大叔母の話を聞いて思い当るところがあった。
94歳で独り暮らしをしている大叔母は,少し耳が遠くなってきてはいるが,元気だった。
白鬚神社で買っておいた長寿箸と,途中のコンビニで焼いておいた白鬚神社の写真を渡す。
「それで,神社の人には聞いてみたの?」と言われたが,「いえ聞きませんでした」と素直に答えた。大叔母も「そうねえ,もうずいぶん前のことだから聞いてもわからないかもしれないねえ」と,納得したようだった。いずれにせよ,もう100年以上前のことである。これでよいのだと思った。
1時間半ほど話をしておいとまをする。また元気で会えることを願って。
電話で,夕食はご馳走になれないとあらかじめ伝えておいたら,帰りに寿司を持たせてくれた。車内で早速いただく。
今回の旅行は,食事に関しては始めから終わりまで質素だった。
仙台空港には若干遅れて到着。
今回の旅行,実に5度目のスカイマーク便。定刻で離陸した。
機内誌の1月号は竹富島特集だった。4日前に訪ねたのが,はるか昔のことのようだ。
やってきた列車の壮絶な顔に待っている人も凍りつく。
今年は何とか日付をまたがないうちに旭川に着いた。
長い間,旅行記を読んでくださりありがとうございました。