もっとも,近世以前,尾瀬は上州と会津を結ぶ通過点に過ぎなかったが,明治の末には風景地として知られるようになり,明治43年に檜枝岐出身の平野長蔵氏が長蔵小屋を建設している。
長蔵小屋は現在まで4代続いているが,2代目夫人は長男を出産するとき,産気を催してから歩いて三平峠を越して戸倉に出たという。母子ともに助かったから良かったものの,聞くに堪えない壮絶な話である。しかしその三代目の長靖氏は尾瀬自動車道建設反対運動のさなか,尾瀬の自然を守る会の会合に向かう途上,豪雪の三平峠で遭難死している。
そういう歴史を知ればこそ,観光客の過半数が利用するという鳩待峠ではなく,三平峠から尾瀬に入りたかった。
三平峠にあった地図を借りて,これからの予定を示す。
峠を下れば,間もなく尾瀬沼で,東岸の長蔵小屋を経て,沼山峠に至る。現在10時25分で,沼山峠には14時までには着くだろう。バスは沼山峠16:20発でまだ時間があるので,引き続き沼田街道で
(なお,結果として予定は変更となり,白砂峠,見晴,段吉新道,燧裏林道を経て,バスの通う御池に出ることとなった。上の地図参照。)
三平下
三平峠から10分少々で,尾瀬沼に出た。木のベンチに多くの人たちが腰かけていた。
尾瀬沼休憩所。自動車が入らないこんな場所でも,ラーメンやカレーが提供されていた。もともと上州・会津間の交易において物資の中継地点とされた場所である。
500mlペットボトルは290円だった。老神温泉の宿の主人に,尾瀬でペットボトルを買うと高いと聞いていたので,吹割の滝で2本買っておいた。
尾瀬沼と
尾瀬沼は燧ケ岳の噴火によって水が堰き止められてできた沼であるが,大正時代に電力会社が周辺の土地や水利権を取得し,昭和24年に尾瀬沼からの取水工事が完成している。三平峠の下を貫く導水管により群馬県側の片品川上流に水を落とすことで,実際に発電用に取水されており,年間で3メートルに達する水位変化により,何千本という木が枯れたという。
尾瀬沼取水による発電力は3,200kWで,原子力発電所1基の100分の1にも満たないほどだが,既に国立公園に指定されていた尾瀬も利用せざるを得ないほど,当時は電力事情が逼迫していたということである。このほか,尾瀬ヶ原をダムにするという計画もあったという。原発が廃止の方向となり,今後化石燃料も容易に入手できない時代となったとき,また尾瀬の電力利用問題が再燃することがないとは限らないだろう。
長蔵小屋と尾瀬沼ヒュッテの分岐。長蔵小屋方面に向かう。このあたりで群馬県から福島県へ,すなわち関東から東北に入っているはずである。
尾瀬沼東岸
長蔵小屋。昭和9年の築で,増築が重ねられた大きな建物である。
一帯は本館を中心に,小集落の趣がある。
休憩所と元長蔵小屋。
湖畔の小径。
時刻は11時を回り,そろそろお昼時となった。どこかで食事をしなければならないと思っていたものの,自動車の通わないところで食事を出してもらうのも気が引ける。そうかといって,これも商売でやっているのだから,食べてくれる人がいなければ困るのでは,という葛藤があった。
結局,せっかくだから長蔵小屋で食事をと思って,カレーライスを頼んだ。
熱源はプロパンガスを使用しているようである。地下の灯油は自家発電用だろうか。汚水は当然ながら浄化槽で処理している。
いずれにしても,車の来ないところで大変なことで,プロパンガスのボンベなど,どうやって運んできているのだろうか。
尾瀬沼ビジターセンター。入館者40,000人達成のくす玉割の準備をしており,職員が親子連れを見つけては,40,000人目の入館者になってもらえないかと頼んでいたが,みな予定があるようで,なかなか引き受け手が現れなかった。
(左)ビジターセンターに展示されていた写真。かつての尾瀬はごみであふれていたという。現在,尾瀬にゴミ箱は設置されていない。(中央)尾瀬沼にはかつて渡船があった。湖畔の植物を守るためだったが,渡船こそが沼を汚し静寂を破っているとの批判を受け昭和47年に廃止されたという。(左)尾瀬の物資輸送はかつて馬が主役だったという。昭和40年以降はヘリコプターにとってかわられている。プロパンガスのボンベや食材なども,ヘリコプターが使われているのだろう。
長蔵小屋売店。魅力的なお土産もいろいろあった。
立派すぎる感のある公衆トイレ。