2021.1.31全面改訂(2001.5.20新規作成,2002.5.26一部改訂)
宗谷本線 その1
[旭川→名寄]
一路北を目指す宗谷本線にあって,旅人にとって見落としがちなのがこの区間です。しかし拓けた盆地に点々と連なる農村を直線で貫く線路は,道内でも特に北海道らしい景色といえるのではないでしょうか。観光地ではない,町の駅に下車し,地元の人に親しまれている食事処や温泉を巡ってみるのも楽しいと思います。
宗谷本線[旭川→名寄]の概要
●歴史
1896(明治29)年北海道鉄道敷設法が公布され,これに基づき「旭川より稚内に至る鉄道180哩」が1期線の1つとして建設されることになった。同法は対露戦争を念頭においたものだった。1898(明治31)年8月の永山を皮切りに,蘭留,和寒,士別と順次開業し,1903(明治36)年9月に名寄に達した。1909(明治42)年,後年三浦綾子の小説『塩狩峠』で知られることになる列車暴走事故が,塩狩-和寒間で発生した。
1926(大正15)年,のちの天北線経由で稚内に到達,本土と樺太を結ぶ幹線となり,函館と稚内桟橋を結ぶ急行列車には一時列車番号「1」が付されたこともあった。
1958(昭和33)年10月に札幌-稚内間に夜行準急「利尻」,1960(昭和35)年7月には昼行の準急「宗谷」(キハ22)を新設。「宗谷」は1961(昭和36)年10月キハ27,56形を投入して急行に格上げされた。その後,急行「天北」「礼文」などが加わり,20世紀末まで全国随一の急行街道として名を馳せていたが,2000年3月,旭川-名寄間の高速化工事が完了し,キハ261系スーパー宗谷が130km/hを開始した。支線も多く建設されたが,1989年に名寄本線が,1995年に深名線が廃止。稚内まで一本道となっている。
2021年3月のダイヤ改正で南比布,北比布,東六線,北剣淵,下士別の各駅が利用者の減少により廃止されるとともに,H100形気動車が投入され,快速・普通列車のスピードアップが図られることとなった。
●車窓
名寄までの区間は,まだ最果ての旅情を感じるには至らず,豊穣な田園風景が展開する。旭川からしばらく住宅街を行き,永山を過ぎると車窓に水田が広がる。高速化工事が実施されているので,走りは滑らか。右に大雪山を見て,北へと向きを変え,比布を過ぎると塩狩峠にさしかかる。針葉樹の防雪林に囲まれた峠道をゆっくり越えると,旧天塩国に入り,和寒,剣淵と農作物の集積地として繁栄した町を通過する。碁盤の目に引かれた水田の中を,線路もまっすぐ北上し,深い防雪林(深川林地)を抜けるとまもなく士別に着く。士別からはほぼ国道40号に沿い,天塩川を渡って多寄,風連と田園の集落を過ぎ,右窓からキマロキ編成に迎えられて名寄に到着する。 名寄に向かって比布までは右側,比布からは左側の車窓が良い。
●運行系統
2021年1月現在,優等列車は札幌-稚内間に特急「宗谷」が1往復,旭川-稚内間に特急「サロベツ」が2往復している。車両はキハ261系気動車で,最高速度は2014年3月以降時速120kmに引き下げられている。
普通・快速列車は,旭川から永山,比布,名寄行きのほか,途中で列車番号が変わるものの,音威子府,稚内方面に直通する列車もある。2021年3月のダイヤ改正で,旭川-名寄間37本中34本をH100形を投入し,同区間で最大31分(平均13分)の速達化が図られることとなった。
一時期,ながやま,ほくれい,かえで,ピヤシリ,えんれい,すずいし,てしおがわなど,普通・快速列車に愛称がつけられていたが,現在は使われていない。
●利用状況
特急は旭川~名寄間で混雑する傾向があり,できるだけ指定席を確保しておきたい。普通列車も通学列車に限らず概して利用者は多く,場合によっては長時間座れないこともある。
●車両
特急は261系気動車が使用されており,2020年11月から不定期で5000番台「はまなす編成」も入っている。
普通・快速列車は長らくキハ40形が使用されてきたが,2021年3月のダイヤ改正でほとんどがH100形に置き換えられる見込みである。
それでは,宗谷本線各駅停車の旅をお楽しみください