三陸初日の出の旅

宮古にて

8時ちょうど宮古に到着。


ちょうどキハ58形Kenjiが釜石に向けて発車するところだった。隣は一ノ関から乗ってきた車両で,先に回送されて宮古に到着していた。三陸海岸へ向けては一ノ関から「初日の出釜石号」が,盛岡から「初日の出宮古号」が運転されたが,それぞれ釜石−宮古間を回送されて,帰りは車両が入れ替わる。つまり,行きに「初日の出釜石号」,帰りに「初日の出宮古号」に乗れば結局同じ車両(国鉄色キハ58)に乗ることになる。

宮古9時35分発の快速リアスは3両編成。マニア心をくすぐる珍編成だ。

21世紀ももう2年目とは思えない風景。
メルヘンチックな色合いの駅舎 意外と都会的な駅前風景

宮古は北海道からだと非常に行きずらいところだが,1998年の12月に初めて来て以来もう4回度目である。地図で見ると盛岡との間には険しい山地が横たわり,海沿いの町ともリアス式海岸のため陸上の交通は阻まれている。陸の孤島のようなところだ。しかしそれでありながら大きな市街地を持ち,気品あふれる立派な街である。


元旦から営業しているキヨスク。

キヨスクも店員が何人もいるわけではないだろうに,元旦から営業とはまったくご苦労なことだが,キヨスクはやはり年中無休で営業していてほしいという希望もある。
1998年の暮れも押し迫った頃,わたしの祖父は体調を崩し,旭川の病院に入院した。わたしは大晦日の夜に帰省し,新年が明けて真っ先に家族と祖父を見舞いに行った。
祖父は話はできる状態で,何かは忘れたが,駅の売店に行って買い物をしてきてほしいと頼まれた。祖父は古い人で,コンビニはもちろん,スーパーマーケットさえも知らない人だった。それでも駅の売店なら元日でもやっていると思ったのだろう。普段人に物を頼むことなどめったにない祖父が自分の口から買ってきてほしいと頼むのだからよっぽど欲しかったに違いない。結局そのときは駅の売店には行かず,コンビニで用を済ませたか何かしたが,祖父が「駅の売店ならやっている」と頼りにしたキヨスクは,やはり元旦でも営業していて欲しいという思いがある。祖父は次の正月を迎えることなく亡くなった。
宮脇俊三氏も国鉄の最も素晴らしいところとして,終戦のその瞬間にも全国でダイヤどおりに列車が動いていたことだとどこかで書いていたが,いつ何時でも動いているという絶対的な安定感は鉄道の大きな魅力である。

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