北海観光節旅行記東京クリスマス

麻布十番


大井町駅からりんかい線で大崎駅へ。


大崎駅でJR山手線に乗り換え目黒駅へ。


目黒駅で東京メトロ南北線に乗り換え。


麻布十番駅到着。


麻布十番は交通が不便で「陸の孤島」と呼ばれていたそうであるが,2000年秋に都営大江戸線と営団南北線が開通してにわかに便利になった。交差点の上には首都高速道路が走っている。いわば「東京の占冠」である。

麻布十番稲荷


ビルに挟まれた神社。

  

この神社の狛犬,実は音丸さんが奉献したものである。


銘板に「奉納者永井満津子」とあるのは音丸さんの本名。音丸さんは麻布箪笥町の老舗の履物屋の娘として明治39年12月8日に生まれた。子供のころから祖母の影響で常磐津,舞踊,小唄を習い,その美声がレコード会社に知られて昭和9年9月にコロムビアから音丸の名でデビューした。昭和10年7月の新譜で発売された「船頭可愛や」は,当初レコード会社ではあまり期待していなかったというが,自力で売れ出すようになり,ついには同名の映画が作られるまでになった。日本国中からくる出演依頼,ラジオに映画の忙しさ。履物屋の仕事は人手に委ね,歌一筋の道を歩み始めることとなった。

銘板によると昭和12年2月吉日とあるから,花嫁行進曲,満州想えば,下田夜曲,博多夜船,米山三里と次々にヒット曲を出していたころである。

麻布十番商店街

 
商店街中心部の交差点。原宿にも似た活気を感じるところだった。


きみちゃん像。ここも道民としてはぜひとも訪れたいところだった。

赤い靴はいてた女の子 異人さんにつれられて行っちゃった

横浜の埠場から船に乗って 異人さんにつれられて行っちゃった

作詞:野口雨情 作曲:本居長世「赤い靴」より

赤い靴はいてた女の子「きみ」は母かよと北海道留寿都村の開拓地に入植した。しかし開拓地の想像を絶する厳しさから母はきみちゃんをアメリカ人宣教師に預けた。その話を聞いた詩人野口雨情は,きみちゃんはアメリカできっと幸せに暮らしいてるでしょうと,母親を励ますような気持ちで「赤い靴」を作詞した。

ところがきみちゃんは実際にはアメリカに渡っていなかった。渡航を前に結核にかかり,東京の孤児院に預けられ,明治44年9歳の短い生涯を閉じたのである。その孤児院は,いま麻布十番神社が建つあたりにあった。

きみちゃんの像は幸せを願うシンボルとして,麻布十番商店街の真ん中に立っている。

 

日も落ちかけ,お腹も空いてきたので,ここでラーメンを食べておく。「和風東京ラーメン」という看板にうさん臭さを感じたが,一等地で営業しているのだから悪くはないだろうと思って入ったら,これがなかなか良かった。しょうゆもやしめん690円。

チコリコンサート

 

麻布十番商店街の真ん中辺りにパティオ十番がある。名前からして全天候型総ガラス張りの複合商業施設のようなものを想像していたが,建物に囲まれた簡素な広場だった。パティオは中庭の意味だからこれでよいわけである。

今日はパティオ十番でStarlight Christmasチャリティーイベントが開かれている。

12月23日のことを最近はクリスマスイブイブと言うらしい。日本ではクリスマスやクリスマスイブが祝日にならないので,2日前倒して天皇誕生日のこの日にパーティなりデートなりをやってしまおうというのである。そもそもキリストの誕生日が12月25日だというのは根拠のない話で,キリストの象徴である太陽の新生を祝うということがクリスマスの重要な意味なのであるから,より冬至に近い23日に前倒したとしても問題はない。


16時から始まったチコリのコンサート。チコリとは北海道中富良野町が特産としているハーブ野菜の名前でもあるが,名前から受ける印象どおり癒し系の音楽ユニットである。会場には知って来たのか知らずに来たのか,同じような独り者の男ばかり20人くらいが集まり,妙な雰囲気だった。

なごやかムードで,音丸さんも良いが,こういうのも良い。最後まで見て,帰りにCDを購入した。いままでのライブでいちばん寒いといって手をもみながら演奏していたが,今度は北海道の雪祭りライブにも挑戦してほしい。


次は六本木ヒルズである。麻布十番温泉の手前から森タワーを望む。

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