北海観光節旅行記万博超特急

地球市民村

14時から配布開始のトヨタの整理券を待つ人たち。この人達は恐らく朝から並んでいるのだろうが,なぜそこまでして見たいのか,時間がもったいなくないのか,並んでいる人の気持ちがどうしても理解できない。

この北ゲートの架構は当初間伐材を利用する予定だったが,流通面に問題が生じ集成材に変更されたという。都会で仕事をしている人というのは農産物や木材がどうやって生産されているかを知らないので,注文すれば注文どおりに品物が届くことが当たり前だと思っているが,自然から得られる産品はそう簡単にはいかないのだ。

万博会場では木材の利用が目立つ。たしかに林業の不振で手入れされなくなった山が荒れている中で,間伐材の積極的な利用は意味のあることだろうが,木材が無限の資源だとするような風潮には疑問を感じる。

木は水と日光だけで生育するわけではなく,地中の養分を必要とする。山というのは高いところにあり,水は上から下へ流れるものだから,里の田畑のように上流から養分が補給されるということはない。それでは山にはどうやって養分が補給されるのだろうか。鳥の糞が大きな役割を持っているという人もいるし,里で食物を得た動物が山で屍となることによって栄養が運ばれているのだという人もいる。あるいは雨の中に養分が含まれているのだという人もいる。林学部や農学部出身の知り合いに尋ねてみたが,人によって答えがまちまちで,結局研究者でもその辺はよくわかっていないようなのだ。いずれにしても山の栄養には限界があり,木材の生産力には限界があるはずだ。

グローバル・トラム 自転車タクシー IMTS(無人バス)

会場内の乗り物たち。結局燃料電池より何より人力がいちばんクリーンなエネルギーなわけで,自転車タクシーは本当の意味で環境万博にふさわしい乗り物だと思う。しかし中にはあくびをしながら自転車をこいでいるやる気のない運転手もいた。

昨日から感じていたが,概して万博のスタッフは精彩を欠いていた。中には半ばやけになっているスタッフもいた。ディズニーランドのスタッフのような職業人としての美しさが感じられない。博覧会という性質上,正社員ではなくアルバイトとして雇われているのだろうが,アルバイトでもたとえば東京のデパートの地下などでは,売り子さんが目を輝かせて働いている。万博のスタッフのやる気のなさの背景には,万博の構造的な問題が何か潜んでいそうである。

 

2.6kmで会場内を一周するグローバルループは幅21m。40mの高低差を緩やかなスロープで稼いでいる。中央の6mにはグローバル・トラムなどの車両が通るため木材チップ50%プラスチック50%の再生木材,両側7.5mの部分はブラジル産のユーカリーが使われている。

学びと参加ゾーン

ときめき愛ランド。ここだけ突出して妙に俗っぽい。こういうのは嫌いではないが,万博でこれを許容するなら,もっと許容してもいいものがあるように思う。

大阪万博は強烈な未来志向の一方,テーマソングに三波春夫の「世界の国からこんにちわ」を選定したように,日本古来の土着的な要素も兼ね備えていた。

三波春夫のことを,政財界の大きな催しものに際し節目ごとに登場してにこやかに音頭を歌う政府御用達の芸人などと批評する人がいるが,これはまったく的はずれな批判であり,三波春夫が国際的な催事にたびたび登場したのは,普遍的な日本な精神を持って歌える歌手が三波春夫以外にいなかったからである。三波春夫が時代遅れなのではなく,遠い昔も将来も日本人の根底に普遍的に存在している姿が,あの三波春夫のスタイルなのである。例えば,東京オリンピックの東京五輪音頭。「あの日ローマで眺めた月が,今日は都の空照らす」という歌詞を,三波春夫が日本人として揺るぎない姿で歌うことによって,見事に日本と世界が一つになる。

ところが愛知万博では「日本」という要素が徹底的に排除されてしまっているのである。一昔前の北海道の博覧会では毎週のように,各市町村の太鼓や神楽,民謡がステージで演じられた。それが愛知万博にはまったくない。外国の人たちはこの万博を見て何を思うだろうか。私は海外旅行に行ったことがないが,行かない理由の一つは,日本を知らないからである。外国人から見れば日本人のスーツ姿など滑稽なだけである。外国に行くなら着物で行きたい。しかし私は着物を着れないし,長い時間正座もしていられない。筆で文字も書けなければ,お茶も点てられず,そろばんもはじけず,お経も読めない。とても恥ずかしくて外国には行けないと思うのである。

世界の国々を呼ぶなら,日本人は日本人としての自覚を持たなければならない。何も万博だからといって日本的なものを排除することはなく,いまあるものは伝統工芸,郷土芸能でもなんでも積極的に取り入れればよいのである。

 

わんぱく宝島とロボットステーション。ここはいろいろなパビリオンが結合していて見応えがあった。ロボットは最新型のものよりもむしろ一時代前の懐かしいロボットに惹かれた。

 

観覧車が空いていたので乗ったみた。観覧車は旭山動物園と深川の桜山レジャーランドの小さいものしか乗ったことがなく,80m級の観覧車に乗るのは北海道21世紀博覧会以来20年来の夢だった。

 

眺めは抜群で,乗る価値はあった。

地球市民村。竹で編んだ5つのパビリオンと,既存施設の愛知県国際児童年記念館を利用したセンターハウスからなる。市民参加の環境万博の真髄ともいえるゾーンで展示内容もよかった。

万博についていくらか悪く書きすぎてしまったかもしれないが,ほっとすることもあった。実は計画の初期の段階で600mの巨大タワーを建ててその中に全部のパビリオンを収めてしまおうという案があったそうなのだが,まったく顧みられず没案になったというのだ。

600m,あるいは1000mのビルというは技術的には可能といわれ,今から10年くらい前になるだろうか,大手ゼネコンが競って計画をしたことがあった。機能を集約することはエネルギー的にも効率がよいし,容積率を上げることによって周辺の自然環境も守られる。

歩きたくない,雨に濡れたくない,暑さ寒さは嫌というわがままな現代人には,全部の機能をまとめて外に出る必要がないようにした巨大ビルがいちばん似合っているに思える。ところが実際には多くの人は1000mビルのようなものを望まない。やはり自然の風,緑,景色の変化,そういうものを無意識のうちに欲しているのだ。600mパビリオン案が即廃案になったと聞いて,やはりそうかと安心したのである。

散策の森,水の広場を通ってグローバル・ループへ戻る。

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