北海観光節旅行記八割方TOKYO

波浮港

旧甚の丸邸

 

波浮港の網元の邸宅。まわりの路地は石畳で,かつては栄えていたのだろうと偲ばれた。

島には猫が似合う。

踊子坂を下る。

波浮港。港といえば波浮港を連想させるほどよく知られた港であるが,開港してからまだ200年余あまりだという。もともとは火口湖だったのが江戸時代の地震で海とつながり,1800年に入口を開削して港として整備されたとのこと。

旧港屋旅館

 

かつての旅館が「踊子の里資料館」として公開されていた。こうした旅館の広間で,漁船の乗組員や観光客に踊りを披露していたのが踊子で,川端康成の小説「伊豆の踊子」のモデルとなった。

 

展示室では過去に6回映画化された「伊豆の踊子」のハイライトを放映していた。美空ひばり版と山口百恵版は学生時代にBSで見た記憶がある。

波浮港の商店街。

印刷タイプの門松を道外で初めて見た。上富良野では昔からこの門松だったのだが,最近はこれさえもなくなってしまった。

波浮の港歌碑

今年11月に亡くなった森繁久彌の書による立派な歌碑。1928年(昭和3年)に日本に電機録音が導入されて最初のヒット曲で,まさに記念碑的な歌謡曲なのであるが,この歌はどうも好きになれない。歌ったオペラ歌手の藤原義江が良くなかった。

日本のオペラも,三浦環や田谷力三までは言葉もわかるし聴いて楽しいのであるが,そのあとどうしてこう気張ったものになってしまったのだろうか。

波浮港10:33発→波浮見晴台10:38着 大島バス 波浮港ライン

港から見晴台へは直線距離で500mも離れていないが,かなり遠回りをしないと行けなさそうななのでバスに乗る。

波浮港見晴台

海抜約70mに位置する展望地。80歳を過ぎていると思われる近所のお爺さんが観光客に話しているのを聞くと,波浮港は昔3000人が住んでおり,狭いところなので喧嘩が絶えなかったということだ。いまは魚が捕れなくなったので活気がなくなってしまったとのことで,現在の人口は700人あまりとなっている。

「アンコ椿は恋の花」歌碑。1964年(昭和39年)発売,都はるみのデビュー曲である。「三日おくれの便りをのせて船が行く行く波浮港……」の歌詞は印象深い。歌碑は意外と新しく,波浮開港200周年の2000年に建立されていた。

波浮港見晴台のお土産屋。

波浮見晴台10:54発→火山博物館前11:28着 大島バス 波浮港ライン

バスはまた波浮港に降りて戻ってくるので,下地のバス停まで歩いてこのバスに乗っても良かったと,後になってわかった。

大島節発祥の地碑

「わたしゃ大島 御神火育ち 胸に煙は 絶えやせぬ」の大島節。「わたしゃ大島 荒浜育ち 色の黒いのは 親譲り」の歌詞は北海道の盆踊りで唄われることもある。

大島ブームのさなかの1936年(昭和11年),この大島節をもとにして作られたのが,西条八十作詞,古関祐而作曲で音丸さんが唄った「大島くずし」である。これまた「恋の九つ 情けの七つ 合せ十六島育ち」という素晴らしい歌詞である。

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