北海観光節旅行記熊野古道と北リアス線

旅立ち

2012年12月28日(金)

旭川20:00発→札幌21:20着 特急スーパーカムイ46号

12月28日夜の旅立ちは3年連続である。今年は余裕を持って20時発のカムイに乗ることができた。

いきなりの駅弁,旭岳弁当。ここのところ,毎日のように出張で乗ってきたカムイであるから,すみやかに非日常の世界に入り込むには駅弁という演出も必要である。この旭岳弁当だが,駅弁としての完成度の高さは秀逸だと思っている。いちばん好きな駅弁を問われたら,私は旭岳弁当だと答えたい。

札幌22:00発→青森5:40着 急行はまなす

今年の御用納めも急行はまなすは,寝台車3両を含む12両のフル編成で入線してきた。

恐らく,昭和63年の青函トンネル開業以来,何も変わっていない光景だろうが,年を経るごとに何か別の時代に迷い込んだような不思議な感覚が増す。

座席車両での旅立ちの高揚感も捨てがたいが,先は長いので静かな寝台を選択した。

B寝台は1か月前の発売開始直後に売り切れていた。発売当日の夜にみどりの窓口に行くと,たまたま1席キャンセルがあったようで運よく寝台券を入手することができた。夜行バス隆盛の時代にあっても,北東北方面に直通する交通機関として代わるものがないというのは,やはり強いようである。しかし,いま使える寝台車が何両あるのか知らないが,カーテンも落下防止のベルトも,よれよれだった。

下段には既に青年が乗っており,会釈をすると返してくれた。青年は間もなくカーテンを閉め,私もハシゴを上って上段に達するとすぐにカーテンを閉めた。しっかり寝ようと思って高い料金を払っているのに,話好きな人にからまれてはかなわないと思っていつも寝台は上段を取っているのだが,結局のところ知らぬ同士が夜更けまで話し込むなどという光景は,一度も見たことがない。

稚内からのスーパー宗谷の接続を取るため,発車が遅れるとの案内があった。22時01分,車内改札があり,カーテンの隙間からシュッときっぷを差し出す。列車は22時20分に札幌駅を発車した。国鉄チャイムに続き,各駅でホームからドアが外れる車両の案内があった。

2012年12月29日(土)

青森にはほぼ定刻で到着した。朝のはまなすだけが,青函連絡船の時代から続く青森駅の乗り換え風景を今に伝えている。

青森5:44発→新青森5:49着 特急つがる2号

 

新幹線に接続する特急つがるへの乗り換えも,3年もたてば慣れたものなのか,割とスムーズだった。

5分遅れで,1駅先の新青森に到着。新幹線を遅らせては大変と,自動改札装置は機能を停止しており,そのまま改札を通された。

新青森6:10発→東京9:24着 東北新幹線 はやぶさ4号

新幹線に乗り継ぎ,一路東京へ向かう。旭川始発の飛行機の羽田着が11時,新千歳始発でも羽田9時10分であるから,28日の仕事が終わった後に出発する交通手段の中では,このはまなす〜新幹線乗り継ぎが最も早く東京に着く。

朝食はさっぱりと焼鯖寿司。

宮城県に入ってもうっすらと雪が積もっていた。

東京9:40発→京都12:01着 東海道新幹線 のぞみ159号

さらに西へ一気に進む。東京駅は帰省客でごった返していた。新幹線も5分おきくらいで次々発車する。

指定席にいたので自由席の様子はうかがえなかったが,自由席車両には車内販売が行けない旨の案内があり,本来認められていない自由席客の指定席車両デッキへの立ち入りも特別に認められていたので,相当混雑していたのだろう。車内には小さな子供を連れた家族連れが多かった。考えてみれば,お父さんお母さんは私と同世代以下である。泣く子を懸命にあやすお父さんお母さんの横で,一人悠々と乗っていてよいものだろうか。


新幹線ではどこを走っているのかもよくわからない。しかし,今年,東海道を通るたびに思い出さなければならないことが1つ増えた。富士山の麓に従妹が眠っているのである。

従妹は6つ年下だが,突然のことであった。父親のお国の関係で,葬儀はイスラム教で行われた。イスラム教は土葬であるが,現在日本でイスラム式の土葬を一般に受けて入れている霊園は2か所とのことで,その1つが静岡県にある。東京のモスクで行われた葬儀には,従妹の友人関係もたくさん参列してくれたが,土葬の儀式に立ち会ったのは,我々日本人親族5名のほかは,北アフリカ,西アジアの各国出身の叔父の仲間20名ほどであった。彼らの多くは,留学先で日本人の奥さんと知り合った縁などで日本に来たようであった。彼らの手によるお葬式は,日本のお葬式とはまったく異なり,手づくりの暖かなお葬式であった。

昨今アラブ系の人たちに対する風当たりは強く,苦労は多いようである。そんな彼らが,我々日本人に施してくれた親切は,これから一生忘れることがないであろう。

12時1分,定刻で京都駅に到着した。早くも「謹賀新年」の飾り付けがしてあった。

次へ