北海観光節旅行記熊野古道と北リアス線

熊野速玉大社

白浜20:25発→新宮22:38着 紀勢本線 新宮行き普通列車

さっき,田辺から乗った列車は,まさにザルのような車両で,走り出すと同時に車内に外気が猛烈に入ってきた。

今度は別の車両が来ればいいなと思っていたのだが,なんとまた同じ車両だった。

いちおう北海道仕様の装備で来ているので,手袋に耳かけをして,コートのファスナーを全部上げて寒さをしのいだが,この土地の人は何でもないのだろうか。

串本を出るころには,車内に誰もいなくなった。

大晦日の夜の移動は毎年のことであるが,大方の国民が家族で年越しそばを食べて紅白を見ているだろうときに,空いた列車で一人旅しているのは,独特の旅情がある。

2時間あまりで新宮駅に到着。

 

今日は新宮に宿を取った。年末年始の旅行11回目にして,大晦日に宿を取ったのは初めてのことである。

年越しの夜は,カウントダウンイベントや初詣で,寝ている場合ではないということもあったが,いくら商売だからといって,大晦日になんかお客を泊めたくはないだろうという宿へ気兼ねもあった。

今回は,2日連続の古道歩きで,そのまま宿なしで年を越すのは不安があったので,一応宿をとることにした。大晦日だって泊まらなければならない事情のある人もいるはずで,駅前のビジネスホテルならそれも堪忍してくれるのではないかと思った。

カウンターでは,同じ列車で到着したらしい,まじめそうな壮年の男性がチェックインをしていた。ボーイさんにビールの自動販売機の場所を尋ねていたが,大晦日の深夜に,こんなビジネスホテルに泊まるとは,やはり何か事情を抱えているに違いない。

まだ年越しまで1時間余りあるので,部屋に入り少し休む。

紅白歌合戦は,プリンセス プリンセスがDiamondsを歌っているところだった。

プリンセス プリンセスには思い出がある。

中学のとき,学校祭でテープコンサートというイベントがあった。普段は「○○今すぐ職員室に来い」などと怒りの呼び出ししか聞こえないスピーカーから,好きな歌手の歌が流れるというのは一大事で,私はその歌を決めるクラス委員をやっていた。全員に紙を配ってアンケートをしたのだが,たしか女子は全員がプリンセス プリンセスと書いてきたはずだ。曲は「M」か「Diamonds」だった。私は,そのころバンドなどまったく興味がなかったので,プリンセス プリンセスの存在を知らなかった。それなのに,クラスの静かでまじめそうな女の子までもがプリンセス プリンセスと書いてきたので,少しショックだったのを覚えている。

以来,結局プリンセス プリンセスがどんなバンドなのかを知らずにこの歳まで来てしまったが,今年の再結成に至って,初めて知ることになったのである。そこには,後にも先にも,プリンセス プリンセスしかいなかったであろう独特の世界があり,まさに我々の同時代にびったりとはまる雰囲気を持っていた。

当時を知らない私でさえ,感慨深く思うのだから,当時からの同時代のファンは,復活をどれほど喜んだことであろう。それとも,既に子供のいる同世代の人たちにとっては,忘れてしまいたい過去を思い出してしまう出来事になっただろうか。

さて,あまりゆっくりもしていられない。23時25分,初詣に向けてホテルを出立した。

まずは,熊野三山の一つ,熊野速玉大社に向かう。

呉服屋さんであろうか,今宵ばかりはシャッターを半分開けて新年の飾りつけを演出していた。

15分ほどで,神社の入り口に到着。

神門はまだ閉ざされていた。

 

手水舎には柄杓が整然と並んでいたが,誰も水を汲む人がいなかった。やがて先ほどホテルにいたまじめそうな男性が現れ,律儀に手と口をすすいでいた。そのあと私も水を汲み,地元の女子たちが続いた。

だんだんと人が集まってきた。ほとんどは20歳前後の若者たちである。30歳を超えているとみられるのは,まじめそうな男性と私の2人ぐらいしか見当たらない。

いよいよ,午前零時が近づいてきた。慣例にしたがって誰かがカウントダウンを始め,何人かは年越しの瞬間に飛び上がっていた。

2013年1月1日(火)

年明けと同時に神門が開けられ,どっと参拝者がなだれ込む。

朱色がまぶしい拝殿。

混んではいたが,10分ほどで賽銭箱の前まで到達した。2年ぶりの神社への初詣に,いろいろなことを祈願する。

授与所もさっそく縁起物を求める人たちで賑わっていた。

本殿,拝殿の向かって右手には,様々な神様を祀るお宮が並んでいた。

新宮神社 熊野恵比寿神社 八咫烏神社

境内のこうした小さな神社にも,一つ一つお参りをしていく。

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