江別 | えべつ | 有人駅 | |
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江別市萩ヶ岡 | |||
明治15年11月13日開業 | |||
標高10m | 5396人 | ||
2面4線 | |||
函館より307.3キロ 高砂より1.8キロ |
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みどりの窓口530-2400 | |||
キヨスクあり | |||
左前方7分ローソン | |||
2000.7.30下車 |
引き続き,防雪林に沿ってまっすぐ進む。途中,北電江別火力発電所への専用鉄道が分岐していたが,1991年3月,発電所の廃止により廃線。線路跡は遊歩道「四季のみち」として整備されている。
車窓からはわからないが,野幌から江別駅の手前まで,街路は平行四辺形に引かれている。無地の原野に位置から線を引く北海道では非常に珍しい例だが,これには函館本線が関わっている。この地区は屯田兵により開拓されたのであるが,明治11年,最初に入植した1丁目から3丁目付近(江別駅付近)では,道路は直角に交わっている。その後,明治15年に鉄道が江別駅まで延び,野幌に屯田兵が入植するにあたり,
1〜3丁目の1〜3番通をそのまま野幌方面に延ばすと鉄道に突き刺さるため,1〜3番通を途中で曲げて線路に平行につけた。しかし丁目線に関してはそのまま1〜3丁目に平行にしたというわけである。
幌内鉄道開業当初からの駅で,広い構内は貫禄がある。ホームは4面あり,駅舎側の4番ホームは江別止まりの列車専用である。特急の待避可能。特急は夜行のみ停車する。
江別市の中心駅だが,大麻や野幌より乗降客は少なく,駅前は寂れている印象が強い。江別は人口12万人余り,道内で8番目の大都市である。しかし,人口は札幌の膨張に伴って増えたわけで,もともと昭和30年頃は人口3万人台だった。いまでは札幌に住んでいるつもりで江別に住んでいる人が多いが,もともと江別に住んでいる人たちは愛郷心が強く,江別固有の文化というものが残っている。江別駅は札幌から遠いところに位置しているだけあって,周辺は江別本来の雰囲気をよく残しているように思われる。
駅前を東西に走る道路は旧国道12号である。
江別駅前にあるれんが造りの滝。(H9.8訪問)
駅前の通り。街路灯一つ一つが小さなギャラリーボックスになっている。この通りは華やかだが,江別には一歩入り込むと驚くほどさびれた商店街もある。(H9.8訪問)
徒歩10分。駅前まっすぐ,第3小学校の手前で左折。周辺は続縄文時代の文化の中心地であっただけに,「江別式」と名のつく土器を多数展示している。ほかに,明治8年の樺太千島交換条約によって江別市対雁に移住させられた樺太アイヌについて(気候と農業になじめず多数の犠牲者を出した,『対雁の石碑』参照),また北越植民社,東京大空襲の際の世田谷区一行の移住(『世田谷物語』参照)など,北海道史上重要な資料がある。蝶のコレクションあり。(H9.8入館)
1000-1700 月・祝翌休 200円
駅前まっすぐ徒歩10分。昭和31年建築。れんがの円形校舎は貴重。(H9.8外観見学)
徒歩5分。駅前左前方に進み,江別小学校のグランド手前で左折。屯田兵関係では珍しいレンガの建物。(H9.8訪問)
駅前から野幌側に10分歩くと入口。北電江別火力発電所の専用線路跡を利用した約2kmの遊歩道。江別独自の斜方グリットの中でさらに曲がりくねった散策路を歩くと,不思議な感覚に陥る。春,夏,秋,冬の4つのゾーンに分かれている。夏ゾーンでは,蛍を見ることができるという。(H9.8探訪)
徒歩25分。4番通沿い。四季のみちを歩いて訪れると良い。町村農場の歴史は,北海道の酪農の歴史そのもの。町村敬貴は大正6年に石狩市に農場を開設した後,昭和3年に江別市対雁に移転,さらに平成4年に江別市篠津へ移転した。昭和3年に移転した当時の旧町村邸,牛舎,製酪室などが,非常に良い状態で保存されており,市によって平成8年から一般公開されている。資料を展示しているほか,町村の乳製品も販売している。(H9.8訪問)
1000-1700 4/29-11/23公開,無休 無料
駅前2本目の道,右3分。浴槽充実の温泉銭湯。
1400(土日祝1200-)-2300 水休 360円
駅前右手。昭和初期創業の老舗温泉。
日帰入浴1000-1600 1800円
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