2000.10.18作成,2002.5.19一部修正,2020.3.10全面改訂
留萌本線
いまは深川から留萌まで1本の線路が延びるだけの,全国で最も短い本線になってしまった留萌本線。しかし,沿線は昔もいまも内陸と日本海を結ぶ重要な街道であることに変わりなく,屯田兵村,炭鉱があった町,ニシン漁で栄えた港町と,個性的な地域が展開する。かつて急行列車や貨物列車が行き交った重厚な幹線の雰囲気に浸りながら,じっくりと旅してみたい。
留萌本線の概要
●歴史
1905(明治38)年着工し,1910(明治43)年11月23日留萌まで開通,1921(大正10)年11月5日増毛に達した。その後支線の羽幌線(留萌~幌延)のほか,札沼線(石狩沼田~桑園),留萠鉄道(恵比島~昭和),天塩炭砿鉄道(留萌~達布)などが建設された。昭和に入ると,石炭の運搬で活況を見たが,1970(昭和45)年までに留萌炭田の炭鉱はすべて閉山した。その頃,まだ盛んに採炭を行っていた芦別の石炭を留萌港に出すため,深川で留萌本線に接続する芦別線の建設が進められたが,完成を見ることはなかった。
一方,増毛から南の日本海岸は陸路が近年まで整備されていなかったため,札幌方面直通の急行列車が長らく運転されるなど,旅客の需要もそれなりにあった。しかし1989年道央自動車道が深川に延伸,1992年には増毛以南の国道231号線が通年通行可能となり,このころから鉄道の利用者は激減,少数の通学利用を残すのみとなった。
1999年恵比島駅がNHK連続テレビ小説「すずらん」のロケ地となり,SLすずらん号運行で一時賑わいを見せるものの,留萌~増毛間は保守の限界による頻繁な運休から通学利用もない状態となり,2016年12月4日の運行をもって廃止となった。残る深川~留萌間も厳しい状況が続いている。
留萠鉄道から国鉄線に乗り入れた昭和発の列車,札幌発札沼線経由の深川行列車などが見える。
●車窓
深川からしばらく,石狩平野北端の穀倉地帯を走る。北一已,秩父別は一等地に拓けた旧屯田兵村で,どこまでも広がる美しい水田を見ることができる。雨竜川を渡ると旧華族農場の流れをくむ沼田で,同じ田園風景でも世界が変わる。恵比島は昭和炭鉱への入り口で,1999年NHK連続テレビ小説「すずらん」の撮影で使われた駅舎が残る。
石狩,天塩国境・恵比島峠を,トンネルとΩ型の大カーブで緩やかに越えていく。いかにも貨物列車が行き交っていた路線らしい線形だ。峠下駅は線内唯一の列車交換可能駅で,山間の小駅の趣。幌糠まで旧御料地の開拓地を走り,のどかな農村の藤山,炭鉱のあった大和田を経て,港湾都市留萌に到着する。 深川から留萌に向かって左側の車窓が良い。
●運行系統
線内初めての優等列車として1961(昭和36)年1月,札幌~留萌~築別(羽幌線)間に準急るもいが新設。その後札幌方面から急行はぼろ・ましけ・天売が,旭川方面から急行るもいが運行されたが,1986(昭和61)年11月1日で急行列車は廃止となった。
かつては海水浴客を乗せた臨時列車が多く走っていたほか,1999年~2006年にSLすずらん号,2000年に増毛エクスプレスと増毛ライナー,2001年~2016年に増毛ノロッコ号が運転された。
現在,線内は普通列車が8.5往復しており,留萌~増毛間があった当時から本数は減っていない。うち留萌行きの1本は旭川から直通する。
●利用状況
現在は秩父別・石狩沼田~深川間を通学する高校生が主な利用者となっている。留萌から札幌方面へはバスが充実しており,JRは札幌~留萌間に割引き率47%という破格のSきっぷを発売しているものの,公共交通利用者の多くはバスに流れている。 年間を通じて旅行者は比較的多く,鉄道マニアに限らず幅広い年代の旅行者を見かける。
●車両
キハ54形500番台を中心に,キハ150形0番台や,キハ150形100番台も使用されている。2007年に起きた乗客積み残しの事故以降,キハ54は一部の座席を残しロングシートに換装されている。
それでは,留萌本線各駅停車の旅をお楽しみください