石北本線

上越(信) かみこし 信号場

2000.8.9車内より撮影
上川郡上川町字上越
昭和7年10月1日開業
標高635m
信号場(2線)
新旭川より64.9キロ
中越より7.7キロ

●中越(信)→上越(信)の車窓

中越からはもう山間や谷間というのではなく,完全な山の中を進み,25パーミル勾配が何kmも続く道内最大の峠越えに挑む。崖の下を走るところではスノーシェルターも築かれている。非力のキハ40なら時速20kmという牛歩のような遅さでよじ登る。かつての80系特急もそんな感じだったのだろう。現在の183系オホーツクも登場時には革命的な速さといわれたが,それでもかなりスピードは落ちる。いちばん力があるのはキハ54形・特快きたみで,峠道を感じさせない速さで登って行くが,さすがにエンジン音が重苦しくなる。国道333号や旭川紋別自動車道と何度も立体交差しながら上越へ向かう。

●上越信号場

上越の"越"は上川の越路から来ている。その"越路"は"ルベシベ"の意訳である。駅柱には「石狩北見国境標高六三四米上越駅」と書かれていて旅情をそそる。北見峠のほぼ頂上で,道内で最も標高の高い停車場である。
上越は石北線開通時にもともと信号場のような役目の駅として設置された。周辺も鉄道関係者ぐらいしか住人がいなかったと思われる。昭和50年に信号場となり,上越は無住地となった。ただその後しばらくもホームが残って客扱いをしていたようだ。現在では全く客扱いをしていないが,駅名標など駅の雰囲気が残っており,運転停車の時にはドアが開かないのに降りようとする客も多い。ただ冬期間は除雪要員が滞在し,駅務室に電気が灯り煙突から煙を上げていることも多い。
上越といえば私にとっても思い出に残る信号場で,大学2年(1996年)のとき北海道フリーきっぷで道内を旅行したのだが,そのときはまだ上越信号場を知らなかった。その夏は夜行特急オホーツク9号が工事のため富良野線回りで運転されていた。そのため上越を通るころにはもう薄ら明るくなっていた。ふと目を覚ますと霧に包まれた山間に「上越」という駅名標が見えた。運転停車していたのかゆっくり通過していたのか覚えていないが,「こんな駅なかったはずだ」と,ねぼけてどこか知らないところに連れて行かれたような不思議な錯覚に陥ったものである。
上越へはかつてスキー客を乗せたホテル列車が運行されたこともあるという。ホテルとは名ばかりのボロ客車だったというが,旭川方面からやってきて白滝で停泊し,朝上越に引き返して乗客を下ろしたのだという。まだスキー場のリフトが発達していなかった時代,汽車がリフトの役目を果たして,スキー客は上越から山を滑走したのだという。

●見どころ

下車できない

中越 北海道駅前観光案内所 奥白滝