2024.12.8掲載
ホームページ開設25周年にあたって
大学院修士1年の11月にホームページ「北海道観光大全」を開設してから25年が経過した。開設当時,25年後の自分の姿はまったく想像できなかったが,仮に生き延びているとすれば働き盛りの40代であり,少なくともホームページを続けているとは思わなかった。
いまホームページがあるとはいっても,ツイッター以外はほとんど放置状態であるから,その点ではおおむね予想どおりともいえる。
ここでは,ホームページ開設20周年にあたって以後の出来事や,いま考えていることを書いてみたい。
「北海道の古道」作成
2007年以来,鬼峠フォーラムで鬼峠を越えるうちに道の奥深さを知った。鬼峠フォーラムと同様に,道内各地でも古道を歩く試みが展開され,2018年には様似山道と猿留山道が国の史跡に指定,増毛山道と濃昼山道が北海道遺産に選定された。
コロナもあって,2019年まで13回続いてきた鬼峠フォーラムの開催が見通せない中,2020年2月,ホームページに新たなコーナー「北海道の古道」を作成した。
古道歩きはいまのところ趣味の広がりを見せていないが,いつか必ず古道に再び日が当たり,たくさんの人が行き交う時代が来ると信じている。個々がマイカーで移動するという不合理な時代が未来永劫続くとは思えず,人が車の運転から解放された暁には,歩く旅の楽しみが見直されるだろう。山にトンネルを穿ち,谷に橋をかけた現代の道路に寿命が来れば,もう直せる体力はない。その時,自然に随順な古道は実用的にも復活するはずだ。それまで古道の記憶をつないでいきたい。
イカロスMOOKへ寄稿
ホームページを通じてイカロス出版のムックへの執筆依頼があり,2020年から2022年にかけて「秘境路線バスをゆく6・7・8」「鉄道廃止転換バスをゆく」に,計15編の記事を書いた。自分で取材や掲載許可をとったりするわけでもなく,乗ったままを書けばよいのであるが,明確な目的を持ってバスに乗りに行き,それが記事化されるのは楽しいことだった。
紙幅の制約なくだらだらと書きがちなホームページに対し,限られた字数でまとめることは良い経験になり,「北海道の古道」はこのムックでの書き方を参考にした。
ツイッターの開設
2020年2月コロナが指定感染症となり,出かけるのもためらわれる状況になった。それから間もなく,2020年4月にツイッターアカウントを開設した。ツイッターに関しては,たしか2013年7月に,よねざわいずみさんからやってみても良いのではないかといわれていたものの踏み出せずにいたのだが,コロナがきっかけとなった。
2010年の掲示板閉鎖以来,10年を経ての再会や,新たな出会いもあり,新鮮な気持ちでツイッターを続けている。この十年も活動が停滞していたわけではなく,お祭りの民踊や盆踊りなどにかなり出かけていたが,鉄道やバスは手段であった。ところがツイッターになると,鉄道やバス関連の投稿への反応が圧倒的で,どうしてもそうした方面の投稿が増えてしまう。限られた時間でいま大事なことを考えたとき,これが良いことなのかどうかわからない。
まちを歩く
商店街は私にとっての原風景の一つである。その商店街がいま壊滅的になっており,もう手遅れかもしれないがせめて写真に収めようと明確な目的をもって歩き始めたのが2016年頃である。シャッター街ではなく,生きていることがはっきりわかる形で商店街を見るなら夜がよい。そうなると,お店がまだ営業している時間に日が落ちる12月に限られる。12月の土曜日を中心とした街巡りはこの何年か精力的に取り組んでいることの一つである。
2022年8月,独特の感嘆表現を持って,主にオホーツクのまちを歩いている青年が現れ,大いに刺激を受けた。廃坑,廃医院といった廃墟に憑りつかれている人は多いが,彼はあくまでもいま生きている建築に魅力を感じているようだった。リアルタイムで彼の北海道紀行に触れたのはわずか半年であったが,こうした視点で北海道を旅した人は,いまのところ後にも先にも彼しか知らない。
盆踊り
コロナ禍で大きな影響を受けたのが盆踊り界隈である。2019年に郡上,白鳥,新野,越中八尾といった伝統の盆踊りを訪ねていたが,2020年にはそれらの開催が軒並み困難になるという,歴史的な一大事になった。その中で,ツイッターを中心に,盆踊り愛好家の発信が盛んになされ,何名かとは実際に知り合うことができたのは喜びだった。
この間,盆踊りや民謡,郷土芸能に関する同人誌やZINEも多く出た。そうした流れの中で,自分が何もまとまったことを発信できなかったのは反省でしかない。
2023年5月にコロナは5類感染症に移行し,盆踊りも概ね復活しているが,北海道では道外と比べて復活の動きが鈍いと感じる。これは北海道の盆踊りの成り立ちにもよる。北海道は各地からの移住の過程で,伝統の名のもとに継承されてきたものがそぎ落とされ,芸能についても人間にとって本当に必要な根源的なものが残されているのではないか。また,日本各地の奇抜な仮面踊りが,北海道では早い段階で習合し,独自の仮想盆踊りが生まれたのではないか,最近そんなことを思っている。こういうことをさらに探求していきたい。
商業施設
ツイッターを初めてから知った趣味に商業施設界隈がある。鉄道や切手のように趣味の雑誌や友の会があるわけではないが,ツイッターで商業施設趣味を名乗っている人はかなり多いように思われる。
この5年,商業施設の閉店が相次いだ。2021年はイトーヨーカドー旭川店や滝川駅前のスマイルビル,2022年には札幌駅のパセオ,旭川のマルカツ,元ニチイ旭川店のイオン旭川春光店,イトーヨーカドー函館店,2023年は札幌のエスタ,ピヴォ,帯広の藤丸,長崎屋,函館のテーオーデパート,三番舘深川店,2024年には残っていたイトーヨーカドーや西友が軒並み閉店した。これらの商業施設の多くでは,盛大な閉店セレモニーが行われた。私もそうした,一つ一つの歴史を閉じていく瞬間に何度となく立ち会った5年間だった。
商業施設だけではない。鉄道も札沼線,日高本線,留萌本線が大方なくなった。情緒のあった駅もずいぶんなくなった。もうなくなるものがないというくらい,何もかもがなくなった5年間だった。
何もかもがなくなって,これからは何を楽しみに生きていくことになるのだろうか。そこを注意深く見ていきたい。
札幌へ転勤
2023年4月,旭川から札幌に転勤した。15年ぶりの札幌では,旭川のときに感じていた人手不足の切迫感がまるでないことに驚いた。こんな無駄な仕事がまだあったのかと思うような,仕事のために仕事を作っているような業種もたくさんあるように感じる。札幌も人手不足はあるが,地方の深刻さを十分に理解しているとは思えない。
ツイッターでは,地方でいろいろなことが破綻している様子を伝えることに執心した。いくつかの問題は10年くらいたてば技術的に解消されるかもしれない。しかし,当面は地方にとって厳しい時代が続くだろう。最低限の人口は残るだろうが,過去の名残で暮らし続けている住民がいなくなれば,そこで終わりという状況がしばらくは続くと考えられる。
大事になってくるのは,いまの生活を充実させつつ,どのように急激な人口減少を迎えるかという点だ。そのためには人口減少社会を支えるシステムや技術の開発を何より急がなければならない。しかし,気持ちの問題で言えば,いかに納得して歴史を閉じるかが問われるだろう。何を記録し,何を後世に継承するかが,今後の重要な論点になるはずだ。
記録を残すということ
先人の記録を残そうとする意志には驚く。私の父方の祖父は,戦後シベリアに抑留され,その間に妻子を満州からの逃避行で失ったが,このことの詳細を生前に語ることはなかった。しかし,コロナのさなかで実家の遺品を整理していたとき,実は祖父が克明な記録を残していたことを知った。「伝言ノート」と書かれた資料もあり,明らかに誰かに記録を残そうとしている。それによっていま私は,戦中から敗戦後の祖父の足取りをかなりたどることができる。
2023年8月,みかさ炭鉱の記憶再生塾の企画展を見に行った縁で,いま吉田源鵬先生の民謡関係資料のアーカイブ化を進めている。吉田先生もまた,驚くべき緻密な記録と整理された資料を残されている。
吉田先生も祖父も,誰に伝えようとして,これらの記録を残そうとしたのだろうか。具体の宛先はなかったのかもしれないが,もしかすると,いまの時代に比べて未来へ記録を残すことへの希望があったのかもしれない。
吉田先生は1991年,大学を定年退官となる年のラジオでこう語っている。
私は教育というのはいま投資して明日っていうわけにはいかないと思うんです。これが本当に現れるのはこれから40年後か50年後ではないか。いまの学生が50代か60代になったときに,ああそういえば岩見沢の教室で,太鼓叩いて,わけのわからんあまり背の高くないやつが一緒に怒鳴ってたなと。民謡だ民謡だと,おら単位さえもらえばいいと思ってやってたけれども,いまになってみるとなるほどなっていうね。そのときに初めていまやっている気持ちを学生がわかってくれる。そうするといま50人ずつ,10年やったら500人。50年後,40年後に,そうだと言ってそれが広がっていったときに,俺がやっていた心は必ず伝わるし,伝えてくれるし,いまの学生がなるほどなと思ってくれるだろうという気がします。
そして番組の中で中村美彦氏は,昭和30年代の機械化,都市化が,労働と暮らしとともにあった民謡を人々の前から遠ざけ,このときから民謡の漂白の旅が始まったとし,「民謡はこれから先,誰に守られ,生きていくのか。時代とともに姿を変えてきた民謡ではありますが,その漂泊の旅が先人の心を失わないものとなることを祈らずにはいられません」と締めくくっている。(「北海道民謡漂泊の旅」,北海道放送,1991)
この放送から,もうすぐ40年,50年が経とうとしている。先人の心を思う気持ちを大切にし,できればそれを伝えていきたい。
これからのこと
この25年,一貫して匿名で,何にも影響されずホームページでは好きなことをやってきた。しかし,年齢的なこともあり,あまり勝手気ままのことを言うのもはばかられてくるだろう。私自身も何かを調べるときホームページを見ることはまずなくなってきている。限られた時間の中で,これからホームページで何をやっていくかは,相当に吟味しなければならない。
その中で,「北海道の古道」「北海道の盆踊り」については,さらに考察を深め,更新を続けていきたい。
北海道駅前観光案内所はモバイル対応が途中のままで更新が途絶えてしまったが,路線や駅がなくなり,まち自体が跡形もなくなりつつある中で,最新情報に更新することは必ずしも望まれている作業ではないと思っている。どこかの時点でアーカイブとして完結させたい。
ニニウについては,山本敬介さんのことも含めて,まとめていかなければならない。 できれば企画展のようなものを行い,その機に冊子としてもまとめたい。
吉田源鵬の民謡資料についても,企画展ができないかと思っている。機運が高まるのを待ちたい。
街歩きやドライブイン巡りについては,ツイッターに一部投稿しているほかは写真を死蔵するばかりなので,これは同人誌のようなものにできないかと思っている。