2002.12.1
ホームページを作成することにした直接のきっかけは,1999年11月23日のニニウ訪問である。このときニニウに高速道路ができることを知った。ともかくこの驚きを多くの人に伝えたかった。その手段として思いついたのがホームページだった。(なお,私とニニウのかかわりについては私とニニウに詳しい)
そうしてニニウを訪れた6日後にホームページを開設した。作成着手日=開設日の11月29日というのは実は卒業論文の締め切り前夜である。私は当時修士1年目だったが,所属していた研究室では,毎年締め切り前夜はメンバー全員が徹夜するのが慣例だった。私は特にやることがなかったので,ねじり鉢巻の4年生をしり目にホームページ作成に没頭した。私はパソコンが苦手なので,詳しい先輩に手取り足取り教えてもらい,29日中にサーバーに転送,世界に向けて情報発信がはじまった。
1999年12月16日まで使用していたものだが,この期間は検索エンジンにも登録されていなかったため,たぶん見た人はいないと思う。サイト名は当初から「北海道観光大全」で,「観光地リスト」「ニニウへ急げ」「道路情報室」「駅前観光案内所」の4本柱も今と同じ。
ニニウを紹介したくて作成したサイトではあるが,ニニウだけを扱うサイトにすると,非常にマニアックなサイトになってしまい,誰も見にきてくれないのではないかと思った。そこで自らのサイトへのアクセス数を増やすことにより,ニニウのページへのアクセス数を増やそうという作戦を立てた。そのために見かけ上は北海道観光情報サイトを装うことにしたのである。
実は北海道の観光情報についてはそれまでにかなりの蓄積があった。私がなぜ観光に興味を持つようになったのかというところまで触れると話が大きくなりすぎるので,その話は別の機会とするが,観光関係に関しては大学時代に4冊(うち1冊は未完)の冊子を作成している。
『富良野地誌概説(仮)』(1996.1) 大学1年の冬休みに作成した冊子である。「ふるさとは遠くにありて思うもの」と言うように,札幌に移り住んだ私は故郷への思いを強くし,実家に帰省するたびに図書館で郷土資料を読みあさっていた。 内容は開拓時代の話が中心で,ラベンダー観光の歴史についても触れている。付表の富良野地方市町村変遷図は1996年9月,1997年2月に改訂版を出しており,これは当サイト「北海道観光入門」にも掲載している。 |
『北海道旅行案内』(1997.1) 「観光マニアはいないのか」という巻頭言で始まっている。いまでこそ観光に関する書籍やホームページがあふれるほどあるが,この当時は従来型のいい加減で中途半端な観光ガイドしかなかった。ならば私がと思って作成したのである。 道路編,名所案内編,鉄道編の3編に分け,付録として1996年8月の北海道フリーきっぷ旅行記をつけている。 道路編は1967年と1996年の60万分の1道路地図を見開き上下で配置した。名所案内編は道内を30のエリアに分け,それぞれ3〜5箇所の厳選した観光地を紹介した。★,☆による観光地の評価方法はこのときから採用している。 |
『北海道観光大全』(1998.4) この冊子は原稿をMicrosoft Wordで作成しており,データをそのままHTML化することが可能だったため,当サイトの直接の基礎になっている。 第一編通史,第二編行政は「北海道観光入門」として,第三編観光地リストは「北海道観光地リスト」として,ほぼそのままホームページに転載している。 |
『北海道道路鉄道観光地取調図』(未完) 大学時代4年間の総括として,地図と文字情報を総合した観光本を刊行する予定だった。前著『北海道観光大全』の「観光地リスト」の増補作業を進める一方,1999年の春からは地図の作成もはじめた。地図はA4の20万分の1道路地図をA3に拡大してトレースし,観光地の位置のほか,国道や道道の旧番号や廃線跡も書き込んでいた。しかしこれが意外に時間のかかる作業で,3ヶ月かけて約7割完成したところで作業が中断している。コピー代など費用の問題もあり,結局刊行には至らなかった。地図作成に要した3ヶ月は大学生活の中でも最も不毛な時間だったと思う。 |
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これらの冊子は完全に北大生向けに書かれている。北海道大学は札幌大学と改称したほうがいいのではないかと思うほど札幌にしか目が向いていない。研究の対象もほとんど札幌だし,せっかく道外から北大を受験しても,札幌のことしか知らずに4年間過ごして去っていく学生も多い。北海道の地方出身の私としては,もっと札幌の外に目を向けてほしいという思いがあり,これらの冊子を作成して,近しい友人に配布したのである。
冊子を作成した理由は他にも2つか3つあるが,原動力は反札幌・反都会である。これがそのままホームページの基礎となっているので,当初は読み苦しい箇所もかなりあったことと思う。
ホームページを開設して半月ほどはどこからもリンクされていなかったので,外部からのアクセスは皆無だった。検索エンジンへの登録もある程度の内容がなければ申請できない。
12月3日に完全な新作として「道道リスト」の作成をはじめる一方,先に冊子として作成していた「北海道観光地リスト」のHTML化も急いだ。コピー&ペーストだけで済むので作業は早い。12月18日までに212市町村のHTML化を終えた。そして20日に今はなきNTT DIRECTORYに登録申請した。
2代目トップページ(1999.12.17〜2000.2.8)→
24日,NTT DIRECTORYに登録された。自家サーバーなので,アクセスがあればハードディスクの音でわかるのだが,初めて外部からのアクセスでパソコンがカチャカチャ鳴ったときは感動だった。顔もわからない誰かが,私が作ったものをどこかで見ているのである。その後もしばらくパソコンが鳴るたびに手に汗握る思いだった。また,CGIによるアクセス解析をチェックするのがこの日から今に至るまで,毎日の楽しみになっている。
検索のページや凡例なども整備していちおうサイトの体裁が整ってきたので,同日Yahoo! JAPANに登録申請した。当時既にYahoo! JAPANは審査制になっており,登録されるのは非常に難しいと言われていた。
翌2000年1月7日,Yahoo! JAPANに登録された。やはりYahoo! の力は絶大で,急激にアクセス数が伸びた。登録初日は100アクセスくらいあったと思う。今ではロボット型検索エンジンや「お気に入り」からのアクセスが主で,Yahoo!からのアクセスは微々たるものだが,大学時代は自家サーバーのためかロボット型検索エンジンになかなか登録されず,Yahoo!の影響が大きかった。
2000年に入ってからは北海道観光入門やメインコーナーである「ニニウへ急げ」を作成開始。ニニウに急げは1月31日,北海道観光入門は2月2日,北海道道路情報室は3月22日に完成した。「完成」という言葉はあまり使いたくないが,結局これら3つのコーナーは「完成」になってしまい,以後今に至るまで大きな更新をしていないのは気がかりなところである。
Yahoo! JAPAN登録と同時に掲示板を開設した。掲示板を読むことは誰でもできるが,掲示板に書き込むには最初少し勇気がいる。私が最初に掲示板に書き込んだのは1999年の8月ごろだったと思う。当時「鉄道旅行・富良野発」を名乗っていたSHINING RAILのてるさんの掲示板だった。そのときは自分の掲示板を持つことなど考えてもいなかったが,ホームページを作ったからには掲示板も設置しようと思った。
掲示板の過去ログはすべて公開しているが,はじめのころの私の発言は恥ずかしくて読み返す気にならない。2月には翻車魚さんやミドリ★★さんが登場して以後長いお付き合いになる。掲示板に書き込んでくださる方も徐々に多くなり,7月にはおおぞらさん,駅前旅館さんに来訪いただいた。こちらのお二方の登場は私にとってはカルチャーショックであった。それまで私は北大という狭い世界におり,北海道について私よりもよく知っている人は周りにあまりいなかった。しかし年齢の違いがあるので当然ではあるが,お二方は完全に私の上手を行っていた。以後,掲示板は私自身が勉強させていただく場だと捉えるようになった。
大学を出るまで当サイトは研究室のサーバーに間借りさせてもらっていた。サーバー機には研究室の最下位機種を当てることになっており,けっして性能は良くないが,容量は無制限だし,LAN接続のためファイルの転送も一瞬でできた。自家サーバーの運営に携わることはたいへん勉強にもなった。
当初はWindows95でANHTTPDというサーバーを使っていたのだが,これが脆弱なソフトで,パソコンがしょっちゅうダウンした。1日数回は落ちた。研究机から見えるところにサーバー機が置かれていたので,常にサーバーのモニターに目を光らせ,落ちたらすぐ再起動させに走った。そのため睡眠時間以外はずっと大学の研究室に張り付いていた。CGIの作動がきっかけとなって落ちる気がしたので,掲示板を変えたりしたがあまり効果はなかった。この期間は閲覧してくださる方々にもたいへん迷惑をかけたと思う。
こういう状況を見かねた研究室の助手の先生がLinuxの導入に踏み切り,5月16日にサーバーを移行した。サーバーソフトもApacheという一般的なものになり,落ちることはほとんどなくなった。
元祖サーバー機 | 私の研究机。左右の棚のほとんどが観光関係の資料で埋まっていた。 |
トップページの内容は開設初日からほとんど変わっていないが,初期の段階では比較的頻繁にデザインを変えていた。今のトップページは2000年4月1日に作成した4代目で,2年9ヶ月にわたって使い続けている。
他のページに比べて若干浮いた感じのあるこのトップページだが,これはあるテレビ番組を参考にデザインしたものである。
2000年4月1日(土),日本テレビ系の「メレンゲの気持ち」という番組が北海道での放送を開始した。私はその番組を見て,今の流行はこれだと思い,色鉛筆でスタジオの色をスケッチし,その日のうちにトップページのデザインを変更した。使用している色は基本的にメレンゲの気持ちで使用されている色で,下部の「作者情報」「掲示板」などが入っているボックスは,スタジオで久本さんたちが座っているソファーを模している。
このトップページに対してどういう印象を持たれているのかわからないが,これまで何度か変更を試みたことがあるものの,これ以上のデザインは思いつかなくて今まできている。ただ以前はホームページを見た人からメールで質問が寄せられることがけっこうあったのだが,このトップページに変えてからは,それがばったりとなくなった。
3代目トップページ(2000.2.9〜2000.4.1) | 4代目トップページ(2000.4.1〜現行) |
開設後4ヶ月を経て3月までに主な内容ができ上がり,その後は「厳選十選の旅」など地味なコーナーの作成に当たっていたが,5月25日に就職活動のため,更新休止宣言をした。以後も試験や論文執筆の際にはそちらに集中するためトップページで更新休止宣言をすることにしている。とはいっても,掲示板の書き込みは行うので,ほんとに切羽詰るまではなかなかホームページと離れられないのが実態ではある。
就職活動が落ち着き,7月27日,4本柱で唯一未着手だった北海道駅前観光案内所に着手した。鉄道関係のサイトはかなり充実していたので,私は他サイトでやっていないことをと思い,各路線の車窓案内と,各駅の観光案内を行うことにした。札沼,根室,留萌,石北,日高,釧網,千歳,石勝,江差,海峡,室蘭,宗谷,富良野,函館,ちほくの順で作成していったが,一巡するのに実に2年近くを要した。ここまで時間がかかるとは思っていなかった。
それまで研究室のサーバーに間借りしていたのであるが,大学を離れるため,研究室のサーバーからサイトを引き払う必要があった。新サーバーに求める条件は,全文検索エンジンnamazuが使えること,サーバーの生ログが手に入ること,広告が入らないこと。この条件で無料サーバーは難しいので,当初から有料のレンタルサーバーを狙っていた。アドレスも今後は変えたくないので,お名前.comで独自ドメインonitoge.orgを取得した。サーバーはさくらインターネットのバーチャルドメイン・ハーソナルを申し込んだ。容量は150MB,年額20000円。今まで特に不自由なく利用している。
この20日の時点では就職後も最初の1年は札幌にいるはずで,引っ越さなくて良いと思っていたのだが,21日の夜,就職先から電話がかかってきて,4月2日から釧路に来いという。釧路市にはあまり良いイメージを持っていなかったので,最初は驚いたが,すぐに気持ちは切り替わった。釧路といえば阿寒,摩周,釧路湿原という大観光地を抱えているところである。道東は北海道の中でも特に北海道らしく,私も憧れの地だった。釧路への移住は望むところだ。実際住んでみて釧路はいいところだ。道東に移住したくても仕事がなくてできない人がたくさんいるのに,給料をもらって道東に住めるのだから何と幸せなことか。
この賞がどれだけ価値のあるものだったかはわからない。エントリーは主に自薦によるものだったので,レベルの高いサイトがエントリーしておらず,そのため私のところに賞が転がってきたようにも思われる。しかし,一般の人はそういう事情を知らない。新聞掲載の翌日には職場で記事が回覧されたし,実家から電話がかかってきた。いままで「馬鹿なことやってるな」としか思ってくれなかった人にも,一目置かれるようになった。やはり道新の力は絶大である。
これが3年間でいちばんのヒット作になったと思っている。やっぱり旅行記もあまりなじみのないところだと読んでも面白くないらしい。東京はみんな知っているところだから,反響も大きかった。いまでも毎日何件かのアクセスがある。それと,この旅行記はデジカメ購入後初めての旅行記となったが,やはり何でも気軽に撮れるデジカメの力は大きいと思う。
前の年から水面下でくすぶっていて,いつか爆発するだろうと覚悟をしていた石勝線楓駅の廃止問題であるが,当時も再三書いたように,このネタ元は別のサイトにあり,当サイトがネタをでっち上げたような言い方をされるのは,まったく不当である。
ただ,反省すべきことがあったのも確かである。掲示板にはいわゆる荒らしがつきものであり,私も掲示板開設後しばらくは,荒らしが来ないかと毎日掲示板を見るときにはひやひやしていた。しかし掲示板開設後2年を経過して,まったくその手の荒らしがなかったので,私は何を書いても絶対荒らされないという変な自信を持ち始めていた。そのため,まったく根拠のないことをあたかも事実であるかのように書くということが往々にしてあった。この一連の騒動でそうした言動を不快に思う人たちがいるということを知り,以後は掲示板での発言にも慎重を期すようになった。
ホームページを通して私自身たいへん勉強させていただいていると思っている。日常生活ではあまりものを考える機会もないが,掲示板ではそうそうたるメンバーが書き込んでくださり,たいへん勉強になり,刺激にもなっている。また,自分のホームページを作って「見られている」という意識がなければ,私もこれほど北海道について調べたり,旅行したりすることはなかっただろう。なにより,ホームページという場で自分を表現できることは精神安定につながっている。こう考えればサーバーに払う年間20000円なんて安いものだ。
今後はせっかく釧路に住んでいるのだから,道東の情報を充実させていきたい。また,当サイトの原点であるニニウについても博物館の展示替えなどを行っていきたい。
しかし,いつまでもホームページ運営を続けることはできないだろう。職場の環境の変化によりホームページを作成する暇もなくなるかもしれないし,そうでなくても,このサイトの役割が失われたと感じたら,潔くホームページは廃止しようと思う。3年前と比べて今は格段に観光情報を扱うサイトが増えている。役所でも立派な観光地のデータファイルを作成するようになり,私のような一個人が膨大な時間をかけて観光地情報を作成する意義は何なのだろうかと,疑問に感じ始めてもいる。
とりあえず3周年を機に,作成後3年を経て更新をしていないページは,その必要性と存続可能性について見直しを行い,一部コーナーの整理,廃止を検討していきたいと思う。