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増毛山道(1)

循環林道南交点~武好駅逓~避難小屋(2019.7.27訪問)

概要

増毛山道は2021年現在、一般開放が行われておらず、山道を歩くにはツアーなどに参加する必要がある。 ここでは、2019年7月27日開催の増毛山道の会主催トレッキング、岩尾発「坂本直行スケッチに遺る武好駅逓コース」で歩いた区間について記述する。

増毛山道の北側起点の別苅から約6km、急な上りが一段落したあたりに、通称「循環林道南交点」がある。ここまで山道の東側を大きく迂回する林道がついており自動車で到達可能なため、トレッキングツアーはここから出発した。

循環林道南交点の標高が587m、ゴールの避難小屋が約650mと高低差が少なく、山肌に沿って比較的なだらかな道が続く。また、増毛山道の中では比較的遅くまで生活道路として使用され、武好駅逓電信柱などの遺構も残ることから、初心者向きのコースとしてトレッキングツアーでも歩く機会の多い区間である。

この日のツアーは、岩尾分岐から海岸沿いの岩尾まで支線を下る予定だったが、雨のため危険があるとして、避難小屋でゴールとなった。

みどころ

壮絶な笹刈によって復元をみた古道

増毛山道は全区間が地道(土の道)である。道の形や並木がはっきりわかるところもあるが、いったん廃道になっているので、道を見つけ出すところから復元作業が始まっている。復元のための笹刈は2009年以来8年間に及び、道を探索しながらのため、1日で10mしか進まなかったときもあるという。

山道は基本的に尾根よりやや内陸寄りを通っている。このことによって日本海からの風が遮られ、アップダウンや渡渉も比較的少ない穏やかな線形となっている。この日も国道が通行止めになるほどの大雨だったが、増毛山道は危険が少ないとしてトレッキングは決行された。

山肌に続く気持ちの良い土の道。
つくられた道だとはっきりわかる場所もある。武好橋付近。

水準点と電信線

水準点は標高の基準として国道など主要道路沿いに約2km間隔で設置されている。増毛山道には17か所の1等水準点があり、かつて重要な道路であったことが偲ばれる。いずれも明治40(1907)年頃の設置である。

電信線は札幌方面と増毛、稚内方面の電信による連絡のため、明治22(1889)年、増毛山道沿いに敷設された。しかし冬季の雪害による通信断絶が相次ぎ、明治34(1901)年頃、岩尾~雄冬間が海岸沿いの雄冬山道に移されている。増毛山道の中でも、特にこの循環林道南交点から岩尾分岐までの区間では、電信柱や鉄線、碍子が多く現存している。

1等水準点「8469」。水準点の多くは長年の間に土砂に埋もれ、会の方々が探し出したもの。
朽ちて倒れた電信柱。まだしっかりと立っている電信柱もいくつか残る。

ウェルカムゲートを過ぎて山道の聖域へ

やがて、道の両側を人の背丈よりも高い笹薮が覆ってくる。増毛山道内でも最大の笹薮で、道を復元するときに大変な苦労をした場所だという。現在も毎年笹刈が行われている。

やや笹の丈が低くなってきた頃、会の方々が「ウエルカムゲート」と呼んでいる曲がりくねった木をくぐる。まさに聖域の入り口のような場所にあり、ここを抜ければ武好駅逓はもう少しである。

笹薮は背丈を越す高さとなる。
通称ウェルカムゲートをくぐる。

武好駅逓跡

循環林道南交点から2.2km、ぽっかりと広場が開けたところが武好(ぶよし)駅逓跡である。駅逓とは明治から昭和の初期まで、人馬の継立や宿泊など旅行者の便に供するため、北海道独自の制度にもとづいて設置された施設である。武好駅逓は昭和16(1941)年まで設置され、駅逓廃止後も建物は戦後しばらくまで残っていた。建物があった場所がいまは縄で記されている。駅逓では別苅、雄冬の双方から逓送によって運ばれてくる郵便物の交換が行われたほか、行商人が泊まることもあった。

画家の坂本直行は、1926(大正15)年、北大山岳部創設と同時に入部、道内の山々を精力的に歩いた。その際に武好駅逓を訪ねて3泊したときのことを、後年画文集「原野から見た山」で書いている。「駅逓の裏には焼酎ビンが山のように積まれてあった」「広い土間の片隅に、清涼な泉が音をたててコンコンと流れていた」「家のすぐ側に炭釜があった」という風景はいまもそのままで、酒の瓶も生々しく散らばっており、炭釜の跡も残る。

くぼみが炭釜の跡。
山の中にぽっかり開けた武好駅逓跡。

増毛山道の「桃源郷」、旧武好駅逓

先の武好駅逓ができたのは明治21(1888)年のことで、それまでは約2km先の場所にあった。江戸時代のうちに「通行屋」として設置された休憩・宿泊所である。

付近はやはり水が湧き出るオアシスのような場所で、会の人たちは「増毛山道の桃源郷」と呼んでいる。

優しい自然に包まれた感じのする旧武好駅逓跡。
こちらにも酒の瓶が散らばっている。

岩尾分岐を過ぎて避難小屋へ

旧武好駅逓を過ぎると、間もなく武好橋を渡る。いまは2本の丸太が渡されてるだけだが、石積みの橋台が残り、往時は立派な木造の橋がかけられていたのだろう、旧版地形図にも「武好橋」の表記がある。前後の道もよく残っており、増毛山道がしっかりと工事をしてつくられた道であることがわかる。

やがて「マザーツリー」と愛称がつくウダイカンバの大木が現れる。増毛山道ができたころに誕生した木だという。また、近くにあるミズナラの大木は樹齢500年以上と言われ、山道沿いにあって伐採を逃れた貴重な存在である。

2つの大木を過ぎると岩尾分岐。スタートの循環林道南交点から4.3km。起点の別苅からは10.7kmで、北から南に向かって増毛山道のおよそ3分の1まで来たことになる。ここから岩尾分岐から海岸の岩尾集落まで約5kmの支線が延びており、この先浜益御殿を越える増毛山道が使われなくなったあとも、増毛と岩尾集落をつなぐ生活道路として戦後まで使用されていた。

岩尾分岐から5分も歩けば避難小屋に着く。増毛から車道が通じており、この日はここでゴールとなった。

武好橋。石積みの橋台が残る。
避難小屋の建物は望来小学校バス待合所のログハウスをそのまま移設したもの。ここまで車道はついているものの、トラックの通行には難があり、搬入に苦労したという。