昭和・北海道地図資料館

東レ ナイロンマップ
最新北海道全図

昭和41年頃 フェニックス

刊行年が記載されていないが,市町村の情勢から昭和41年以降に刊行されたものだと推定される。しかし,かなり古い情報が残っており,道路もいいかげんである。祖母からもらった地図のひとつである。

 

ナイロンゆえまったく劣化しておらず,紙のように折り目がぼろぼろになるということもない。もっとも何百年もたてば紙のほうが長持ちということもあるかもしれない。ただ繊維が荒いので印刷はやや不鮮明になってしまう。「しきものなどにも使えます」と書いてあるので,私は小学生の頃,実際に敷物として使ったことがあり,若干シミ・汚れがついてしまったのは惜しまれる。


凡例(抜粋)
一応道路地図であり,鉄道の表示はお粗末。多車線・二車線・一車線で表示を分けているのは珍しい。


天塩川下流
国道40号はロクシナイ峠を越えて天塩市街を経由していたが,昭和41年に現在のルートに切り替えられた。本図では両方のルートが描かれている。昭和38年に改称したはずの音威子府村がまだ常盤村と記されている。


昆布刈石
国道38号ももとは霧止峠を越えて昆布刈石,厚内を経由していたが,このころ浦幌市街経由のルートに切り替えられた。地図の新ルートは線形が誤っており,実際は鉄道とほぼ並行している。十勝川河口の大津は明治に河口都市構想が唱えられたこともあったが,長く陸路は未整備で,1992年に十勝川河口橋が,1998年に浦幌大橋が完成,ようやく海岸沿いの道路がつながった。


屈斜路湖・摩周湖
摩周湖を一周する道路があるように見えるが,これは完全な誤り。第一展望台と第三展望台の間に昔第二展望台があったというが,第二展望台が載った地図は見たことがない。屈斜路湖はこの頃まだ「くっちゃろこ」と読まれていたようである。美幌峠は旧道。新道が完成するのは46年のこと。


十勝岳
上富良野は昭和26年に町になっているはずなのにまだ村と表記されている。吹上温泉は明治のうちに温泉宿ができ,昭和4年にはバスの定期便が運行を開始した。一方,十勝岳温泉は会田氏が馬で資材を運び凌雲閣を開業させたのが昭和38年,自衛隊により道路が開削されたのが40年。国土地理院の地図に十勝岳温泉の名が記されるようになったのが42年であり,この地図にまったく記載されていないのも無理はない。吹上旧道は現在の地図から消えている場合もあるが,いまだ現役であり,往時の林道の姿をそのまま現代に伝えている。。

 

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