昭和35年の全国レクリエーション鉄道地図と同じく,祖父の遺品を整理していたときに見つけたものである。昭和51年といえば私の両親が結婚し,私が生まれた年。祖父はこの地図を持ってどこに出かけたのであろうか。
折りたたみ式で,広げると幅約1.2メートルになる。
全国レクリエーション鉄道地図に比べると歪みが少なく,面白味に欠ける。
凡例
国鉄では貨物と旅客(または荷物)を扱う駅を一般駅といったはずだが,この地図の場合,特急・急行停車駅,無人駅,臨時駅以外のすべての駅を一般駅と称している。
石北本線
全駅が有人駅だったことがわかる。この当時は基本的に列車交換を行う駅は有人駅だった。北海道の主要路線は昭和56年から61年にかけて自動閉塞化され,駅が無人化されている。また同時に交換設備が廃止されいわゆる「貨車駅」になった駅が宗谷本線や花咲線には多く見られるが,石北本線は天幕,上白滝を除いて交換設備が健在であり,旧来の駅舎もいくつか残っている。
ここで番外編として,ほぼ同時期の道内時刻表を見てみよう。弘済出版社の昭和50年7月号で,これは私が古本屋で購入したものである。
石北本線
道内版の時刻表には「駅」とは別に「仮乗降場」が記載されていた。これは旅客の便宜を図るため本社とは別に地方の鉄道管理局独自の判断によって設置された停車場で,特に北海道に多かった。列車1両分の幅もないような簡素なホームが北海道独特の鉄道風景を作っていた。これら仮乗降場もJR移行時に駅に昇格している。
50年7月改正では,道内初の電車特急「いしかり」が誕生した。耐寒性能が十分ではない485系特急車両を使用しての運行で短命に終わっている。旭川〜札幌間ノンストップで1時間36分を要していたが,現在では途中深川,滝川,砂川,美唄,岩見沢に停車しても1時間20分で到達する。
急行列車編成表の一部。この当時特急列車はまだ少なく,急行列車が幅を利かせていた時代だった。キハ56・27・22などを使用した気動車急行のほか,夜行列車は客車で運行されており,寝台車にはオロネ10,オロハネ10,スハネ16など10系客車が使用されていたようである。
本州連絡時刻表
北海道〜本州を鉄道で移動するのがまだそれほど特殊ではなかった頃。東北の夜行列車の多さに驚く。この中で現在も名前が残るのは「日本海」のみである。ここに掲載されているのは一部で,さらに青森到着が10時〜11時台となる列車が何本かあった。
当時,札幌〜東京間は札幌・函館を特急,青森・上野を3段B寝台中段利用として7910円,一方,千歳〜東京の航空運賃は18200円で鉄道の2倍以上した。現在は鉄道が25270円(北斗星B寝台利用),航空機が28000と差がなくなったうえ,航空機には特割,超割など大幅割引制度があり,運賃的にも航空機が有利になっている。