昭和・北海道地図資料館

道央自動車道・札樽自動車道
S.A・P.Aのごあんない

昭和61年 (財)道路施設協会

サービスエリアの独占経営,官僚の天下り先,などと批判された今は亡き財団法人道路施設協会発行の地図。高速道路のS.A.,P.A.で無料配布されていた。現在でも同様の地図の発行が続けられている。

折りたたみ式で,B4版を2つつなげた大きさ。この時点で高速道路は道央自動車道の登別室蘭IC〜岩見沢IC,札樽自動車道の札幌西IC〜岩見沢ICが開通している。その後の開通状況は下表のとおり。

道央自動車道稚内方面 道央自動車道函館方面 札樽自動車道
S62.9.18 〜美唄IC H3.10.25 〜室蘭IC H4.9.30 札幌IC〜札幌西IC
S63.10.8 〜滝川IC H4.10.27 〜伊達IC
H1.9.12 〜深川IC H6.3.30 〜虻田洞爺湖IC
H2.10.30 〜旭川鷹栖IC H7.10.22 〜長万部IC
H12.10.4 〜和寒IC H13.11.19 〜国縫IC
H15.10.4 〜士別剣淵IC

国鉄赤字線の第1次廃止対象路線は昭和58年の白糠線を皮切りに同60年には万字線,渚滑線,相生線,岩内線,興浜北線,興浜南線,美幸線の7つ線が一気に廃止になった。第2次廃止対象路線で最初に廃止されるのは,昭和61年10月31日の胆振線,富内線であり,この地図は61年10月発行であるから,第2次廃止対象路線のすべてがまだ残っている。

一方,空知地方では,この当時夕張,芦別,赤平,三笠,歌志内,上砂川で炭鉱が操業していた。しかしこの年11月28日,第8次石炭政策答申があり,昭和62年からの5年間に第7次政策の国内炭生産量の半減となる概ね1000万トンにまで一挙に減少させることとされた。これにより炭鉱の閉山が相次ぐことになる。

1995年の空知炭鉱の閉山を最後に,空知管内の坑内掘り炭鉱は消滅した。私と同世代の人たちは北海道に炭鉱があったことすら知らない人が少なくない(というか,札幌の人は歌志内や赤平という地名自体知らない)。閉山からわずか10年で人々の記憶から炭鉱は消え去り,2001年10月には「空知地域に残る炭鉱関連施設群」が北海道遺産に指定されたものの,炭鉱遺産の写真を撮っている人たちは,炭鉱が現役だった頃をまったく知らない人たちである。

私は炭鉱が現役だった頃をいくらか知っている。小学校の頃から年に1,2回は家族で車で札幌に行くことがあったが,父のことであるから,上富良野から国道237号〜国道38号〜国道12号というまともなコースは一度たりとも通ったことがなく,歌志内や上砂川,芦別の頼城や三笠を通るのであった。立坑やぐらも見慣れた風景だったし,長い石炭列車も見たことがある。しかし,炭鉱がある地区を通るのは嫌だった。その頃,毎年のようにガス突出事故が発生し,真っ黒な顔で出てくる炭鉱夫や,担架に載せられた遺体を前に泣き叫ぶ家族の様子がニュースに映し出された。同級生にも炭鉱の事故で父親を失い,母親の実家のあるうちの町に引っ越してきたという人もいた。そのようなことだから,炭鉱を通るのは怖かったのである。とりわけ通気坑からもくもくと立ち上る白いガスは気味が悪かった。


三笠1/600000
この当時,北炭幌内炭鉱が操業していた(1989年9月閉山)。この頃,富良野から札幌へは芦別から頼城,桂沢,三笠を経由し岩見沢ICから高速に乗るのが最短コースだったので,三笠は何度か通ったことがある。岩見沢から三笠に延びている幌内線は官設幌内鉄道として北海道で最初に敷かれた鉄道だったが,国鉄分割民営化後の昭和62年7月に廃止されている。
現在も「幌内」と大きく書かれた立て坑やぐらがそのまま残り,道路を走っていても見ることができる。また幌内線の三笠〜幌内間(昭和47年に貨物線となったためこの地図には載っていない)の線路がそのまま残っている。


赤平・歌志内・上砂川1/600000
住友赤平炭鉱(1994年2月閉山),歌志内の空知炭鉱(1995年3月閉山),上砂川の三井砂川炭鉱(昭和62年10月閉山)がまだ操業している。歌志内線は昭和63年4月,函館本線上砂川支線は1994年6月廃止。
上富良野から札幌に行く場合,昭和59年に桂沢経由のルートが開通し距離的にはそちらが最短となったが,長い砂利道があり冬季通行止めだったので,実際には歌志内経由の道を通ることが多かった。なお,赤平,芦別へは滝川からの根室本線よりも歌志内線のほうがずっと早く開通しており,歌志内から山を越えて空知川筋に入るというのが開拓のメインルートだった。これらの町の炭鉱は道路から少し離れており,直接炭鉱施設群を見ることはなかったが,通るたびに町が寂れていくのを感じていた。何度となく通った割には歌志内線の記憶があまりないが,そういえば途中に踏み切りが何箇所かあった。


夕張1/600000
北炭真谷地炭鉱(昭和62年12月閉山),三菱南大夕張炭鉱(平成2年3月閉山)がまだ残っている。私が最初に夕張に行ったのは昭和63年5月の小学校の修学旅行のときで,岩見沢から丁未峠を越えて夕張へ入った。またこの年,桂沢〜夕張の道道907号夕張芦別線(現在の国道452号)が開通し,修学旅行のあと間もなく父と妹と3人で再度石炭の歴史村に行った。その時の南大夕張炭鉱の様子は鮮明に覚えている。その後大夕張を通るのは1997年10月のことになるが,当時の炭鉱施設群は何も残っていなかった。

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