ニニウのこれから > 鬼峠フォーラム2009開催報告 > 5.ニニウ神社奉納相撲大会

5. ニニウ神社奉納相撲大会

●14:45 ニニウ神社へ

次は恒例となった神社の雪下ろしへ向かう。

神社は昨年と変わらぬ姿で鎮座していた。

 

神社の歴史がそのままニニウの歴史という古い神社だが,戦後は会田さんご自身がニニウ青年団の団長として春秋の祭典の世話をしたという。占冠村史には次のようにある。

「戦後会田静雄が3回連続団長をつとめ,勤労奉仕,馬頭観世音,神社祭典の世話,一般教養の研修に励んでいるのはニニウという森林の中にただ一部落孤立して三里の山中にあり,冬期間造材に出稼ぎする部落として立派である。
うちの青年会は神を大切にする。神を貴ぶことは親を尊重することで立派ではないか。戦後便利になりすぎた地方では人間が偉くなりすぎて神様が馬鹿に見えるそうだが,古い道徳でもよいものは残る方がよくないか。
というのはここの古老座談会での伊藤周吉の発言である」(「占冠村史」pp.797-798)

それから50年の時を経て,再び会田さんがスコップを持ち,みなと雪下ろしをしている様子には感慨深いものがあった。

社殿の前には立派な雪の階段も作られて,順次参拝した。

境内では相撲大会の準備が始まった。それにしても,ちょうど土俵がすっぽりと収まるようなそこだけ木のない場所があったのは不思議だった。「大正時代にはこの神社境内で部落総出の盆踊りがあった」(「占冠村史」p.479)といい,相撲も「草分け以来ニニウでも草相撲が盛んで伊藤周吉,植田吉見,会田信の諸氏が人気をあげた」(「占冠村史」p.429)というから,やはりそういう盆踊りや相撲が行われた場所だったのではないだろうか。(ただし,会田さんによると,盆踊りはたしかに神社で行われたらしいが,相撲が行われた記憶はないとのことだった)

●15:10 ニニウ神社奉納相撲大会

相撲大会は有志による勝ち抜き戦で行われた。

たくさんの観客に見守られる中,取り組みが始まった。新聞記者Y氏もこのとき熱心にシャッターを切っているように見えたが,これをどうやって記事にするのだろう。

勝負は細谷隊長が,強烈に引きつけてからの掛け技で連勝し優勝。

一部女性からも参加したいとの声が上がったが,思いのほか女人禁制が厳しく敷かれ,隣にもうひとつ土俵が作られた。

女性の部はデシ氏が優勝。ようやく,本土俵への立ち入りが認められるも,細谷隊長が容赦なく男女横綱対決を制した。

バスへ戻る。今日は雨で峠越えをできなかったことで,逆にニニウでの時間が大変充実したものになったと思う。

●15:35 ニニウ出発

ほぼ予定通りの時刻でニニウを出発。小学校に立ち寄ることはできなかったが,校門が重機で撤去されていた。

6. 鬼峠ミーティング