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3. 鬼峠越え後編

●11:00 鬼峠出発

約15分の休憩の後,ニニウに向けて鬼峠を出発した。

峠のニニウ側は廃道になっている。それだけに現役当時の雰囲気をそのまま残しており,木が生い茂ってはいるが,間違いなくこれが当時の道だということがわかる。会田さんと長谷川さんも,ここに来てようやく,昔歩いた道だという確信を得た様子。

下りに入って,元気が出てきた人。先ほどまで電線を唸らせていた風も静まり,気持ちがよい。

さて,峠を発って10分後,分岐に出た。3年前はこの分岐を右に進んでいるが,それが正しかったのかどうかはわからない。

ここは会田さんに登場願い,慎重に道定めをする。

結局,左の道ではないかという判断になった。ついに会田さんが隊列の先頭に立つ。

 

50余年前の記憶と,ルートファインディングのスペシャリストの頭脳を総動員して,進む方向を定める。

少し進路が南に寄っているのではという判断で,道のない山肌を北へ進むことに。

山肌は次第に厳しくなり,木につかまりながら進む。

 

峠から下りてくる,道らしい道に出た。「もう,これが鬼峠だったことにしようや」と長谷川さん。

しかし,それで納得する細谷隊長ではない。昭和33年測量の地形図は,現在の地形図に比べると不正確であり,GPSのような機械は役に立たない。それでも尾根や谷と道の関係はかなり正確に描かれていると考えられる。測量をした人はどの山を見て道を地図に落としたのかを考えれば,あるいは,最初ここに道をつけた人と心を一つにすることができれば,自ずと進路は定まるはずなのである。まさに,「鬼峠を越えることは,昔の占冠のひとと心を通わせること」である。

といっても,50年もたつと植生が変わっており,道探しは容易ではない。写真の場所は,道には違いないが,こんな急坂では馬車が登れない。会田さんもこんな急な坂はなく,もっとぐるぐねと山肌を大きくまいていたはずとおっしゃっていた。

我々は急坂を下りてきたが,振り返ると,いかにもそれっぽいなだらかな道が別の方向から下りてきていた。こういう場面が何度かあった。

昼食を前に,細谷隊長から歩いてきたルートの説明を聞く。

●12時00分 昼食

ここで20分のランチタイム。

まわりの木には,熊の爪痕がびっしり。

 

ここにきて,挑戦的になってきた山本さん。

13時ちょうど,ニニウ四の橋到着。峠の入口から3時間45分,3年前とほぼ同じペースだった。

今年も当時の道を完全にたどることはできなかった。ニニウ側から越えてみるとまた違った発見があるかもしれない。また来年以降の課題ができた。


4. ニニウ街道