4. ニニウ街道
それにしても,会田さんも長谷川さんもお元気だ。長谷川さんは今なお世界の名峰を登っているアルピニストだし,会田さんも,昔は峠を1日で往復したのだからと何でもない様子。昔鬼峠を歩いていた人は鍛えられかたが違う。
ニニウの中心部まではペンケニニウ川沿いの林道を4キロメートル程歩く。長谷川さんは仕事でニニウに行くとき,この4キロメートルが長くて辛いものだったと語っていた。峠道は目標があるから歩きやすいが,変化のない平坦な道は歩きにくいというのは,山村の人からよく聞く話である。
今日の参加者に配布した地図には,昭和32年当時のニニウ居住者の住宅の位置を書き込んでおいた。当時はペンケニニウ川沿いに農家が点々と続いており,まさにニニウ街道といった趣である。
ここに誰々の家があったと説明してくださる会田さんと長谷川さん。今は跡形もないが,たしかに言われてみればちょっとした平地になっていて,ここで畑を作っていたのだろうなということが想像された。
一線沢。この奥は熊のメッカだが,木石が出ることで知られているという。
この山を越えて,パンケニニウの沢に出る小峠という道があった。峠を越えたところには,戦時中に石綿鉱山があり,学校もできたという。今ではやはり跡形もなく,行ってもわからないらしい。
記念撮影。
途中,シカの足が道端に落ちており,峠越えのご褒美になった。
神社まで歩く予定だったが,石勝線の高架下までバスが迎えに来てくれた。
バス組の人たちともここで合流。
昭和44年度から昭和48年度まで新入小学校で勤務されていた小山先生(旭川市在住),先生の娘さんで新入小学校に通っていたGさん(富良野市在住)とも,ここで初対面となった。昨年の鬼峠フォーラムにも参加していただいた北海道新聞社富良野支局のY記者が,取材先でたまたまGさんと知り合ったことが縁で,今回参加していただけることになったのである。
バスに乗って神社の入口まで移動する。