7. 生家を壊すということ
13時30分,土場跡を出発。ここでようやく本日2回目となる沢渡りである。地形図のルートによれば,本来は6回目の沢渡りとなるはずである。
鬼峠をランドクルーザーが下りてくることもあったというのはもう20年も前の話。それからさらに崩落は進んだようで,崖伝いに峠越えの区間よりもむしろ険しい道が続く。
13時46分,道の駅を出発してから5時間余りでペンケニニウの林道に出た。
年々朽ちていく鬼峠の一里塚。伊藤さんによれば「山火注意」というようなことが書かれていたとのこと。
人家があったことを伝えてくれる庭木。
14時20分,石勝線の高架下に到着。教育委員会のバスが迎えてくれた。
わずか2kmほどであるが,バスに乗せてもらう。
旧会田邸。物置は,「つぶしちゃったら格好悪いから」と,毎年雪下ろしをされていた。そして,昨年のフォーラムのとき,雪下ろしももう大変になったので,夏に壊すつもりだと聞いた。聞いたとおり,物置は解体されていた。
母屋の前には,立派なストローブ松があった。そのままににしておけば,末永く,ここに人が住んでいた痕跡をとどめたであろうが,伐採されていた。
一方で,母屋は何も手が加えられていない。
これらの出来事は,正直,よく理解することができないし,無理に理解したつもりにならなくてもよいのだと思う。ただ,ものすごく複雑な思いがあるのではないかと思う。
ドラマ「鬼峠」のロケに使われた「鉄夫の家」が取り壊されたのは,第1回の鬼峠フォーラムが開催された前の年である。今回初めて参加された伊藤さんは,その当事者である。伊藤さんはただ「もったいないことをした」とだけおっしゃったが,ふるさとを追われ,自らの手で生家を壊さなければならなかったのは,もったいないという言葉だけでは表せない思いがあったに違いない。
会田さんからお話を聞く。毎年聞いているわけだが,私たちのテーマの深まりとともに,新しく知ることも毎年ある。以下,今年聞いた話をいくつか書き留めておく。
○冬の間も鬼峠は普通に歩くことができ,食料を買いに行くことができた。
○まきは毎年払い下げの抽選によって得ることができたが,木を伐るところから自分たちでやるため1か月かかる作業だった。石炭が使われだしたのは,鵡川沿いの林道ができてからのこと。
○伊藤氏によれば,ニニウ沼は水田用のため池としても利用されていたとのこと。ただし,伊藤氏の水田は,石油による発動機で揚水していた。鵡川沿いの林道開通以降のことであろう。占冠村史記載のとおりニニウでの稲作は会田氏(会田長吉)の昭和7年が元祖である。なお,2011年参加の持田氏によれば,鬼峠時代のニニウには水田はあってもごくわずかなもので,水田が拡大されたのは鵡川沿いの林道ができてからのようである。
●13:00 ニニウ神社 ニニウ神社雪下ろし 奉納相撲
15時,予定の2時間押しで,恒例のニニウ神社雪下ろし。
昔あった参道や鳥居のこと,一昨年の修繕のことなど改めてお話を聞いた。
みんなで土俵づくり。同じ土俵に立つという意味を実感する。
じゃんけんで組み合わせを決める。今年は8人参加。
伊藤さんに行司をお願いし,取り組み開始。
1回戦。
準決勝。
優勝は,初参加のVOCKの長谷川さん。
女子の部は,休み。
15時半,すべての行事を終え,バスで道の駅に戻る。
サイクリングターミナルと,新入小学校・中学校の校舎,教員住宅は昨年秋に解体された。
15時50分,道の駅で解散。「今日の鬼峠に深みをもたらしてくれた,ニニウのレジェンド,会田さん,伊藤さんに感謝をこめて拍手」と山本さん。
会田さんからはこのあと,「ふるさとニニウの歴史」と題された資料を渡された。