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1. フォーラム開催まで

●2007年元旦,年賀状にて

そういうわけで,前年の秋頃から鬼峠越えに向けてにわかに話が動き出していた。

正月,日月社の山本さんから年賀状があり,その中に,峠越えの前にビデオ鑑賞をしてはどうかとのこと,そして有志を募っておくとのことが書かれていた。

それまで,日曜日の朝に札幌を出てさっさと峠を越えて帰ってくる,人数もせいぜい数名という程度にしか考えていなかったのだが,この年賀状を見て,私の中で鬼峠越えのイメージがぐっと膨らんだ。

●1月14日,山本さん宛てメール

あまり話を大きくすると面倒なことになると思いつつ,今回の峠越えがまたとない貴重な機会になりそうな予感もあって,思い切って次のようなことを山本さんに伝えた。

●1月16日,鬼峠フォーラムの開催へ

2日後,返信があった。メールは占冠村教育委員会M主査と私のほか,地元の関係者20名への同報通信という形で送られてきた。

内容は次のようなものである。

そして,スケジュールについては次のように書かれていた。

土曜日
16時〜17時 ニニウ郷土史研究家 立松宏一さんによるお話し
17時〜18時 ビデオ「鬼峠」鑑賞会
18時〜20時 鬼峠交流会
 
日曜日
08時〜15時 鬼峠をスノーシューで越える

結果としてこのスケジュールがそのまま実現することになるのだが,恐らく誰も事前に相談を受けていなかったのではないか。私も「ニニウ郷土史研究家」という怪しげな肩書きで話をすることになったようだが,引き受けるも何も,知らぬ間に名前が入っていたので,なるほどそういうことになったのか,とうなずくしかなかった。

同時に,自主創造プログラム採択の手続きや映写装置,スノーシューなどの手配が各関係者へ依頼され,各人暗黙の合意のもとで,準備が開始された。

日程については,山本さんとM主査と私の都合のつく日ということで,1月24日の時点で,3月17日・18日に決定した。これを受けて1月26日,当サイトの掲示板にて3月17日から18日にかけて占冠村で鬼峠とニニウに関する集いが開催される旨告知した。

●2月8日,鬼峠フォーラム開催通知

村民のみを対象にしたイベントなら,そんなに周知を急ぐ必要もなかったのだろうが,今回は私の関係で道外からの参加者も見込まれたので,航空券手配の関係上早めの開催通知を依頼し,2月8日,山本さんから次のとおり開催案内があった。

◆鬼峠越えフォーラム
 
◆内容
 「人はなぜ、鬼峠を越えてまでニニウに住んだのか。」
 昭和56年まで鉄道もなく陸の孤島といわれた占冠。その占冠からさらに3時間の鬼峠を越えた所に秘境中の秘境ニニウがある。この今はなきニニウ〜占冠間の峠道「鬼峠」を通して、占冠の歴史や占冠村の自然環境を考え学ぶ2日間。
 1日目は長年ニニウを研究されている立松宏一氏や当時の鬼峠を知る村民からお話しをいただき、昭和59年に放映された幻の名作ドラマ「鬼峠」(出演:布施博・永島瑛子・田中義剛)のビデオ鑑賞などで交流を深める。2日目には今はなき鬼峠を、古い地図と記憶をたよりにスノーシューで越える。
 
◆開催日 2007年3月17日(土)・18日(日)
 
◆スケジュール
17日
 16時〜17時 ニニウ郷土史研究家 立松宏一さんによるお話し
 17時〜18時 ドラマ「鬼峠」鑑賞会
 18時〜20時 鬼峠交流会
18日
 07時45時 道の駅駐車場集合
 08時00分 鬼峠登り口出発
 09時30分 鬼峠頂上
 11時15分 ペンケニニウ(四の橋)分岐,お弁当
 12時30分 後藤家到着
 12時45分 ニニウ神社・ニニウ開拓の家(鉄夫の家)見学
 13時30分 ニニウ出発
 14時30分 道の駅駐車場帰着解散
 
◆開催予定場所 17日(土)双民館・18日(日)鬼峠
 
◆参加対象者 一般村民 村外参加希望者
 
※1日目の開催場所は宿泊もできる双民館を考えています。
※占冠村教育委員会の自主創造事業として広く村民、一般の参加を呼びかけます。
※18日のスノーシューで鬼峠を越えるについては、雪の上を6〜7時間歩く体力のある方(軽登山以上の経験のある方)とします。年齢は小学校4年生以上。

これを受け,さっそく知人関係にメールで案内を出した。ニニウのページを作成して7年余りの間に,ニニウの関係でメールをいただいていた方,その他,興味を持っていただけそうな方,計43名に案内を出した。

メールには上記の開催案内に次の文章を添えた。

拝啓 暖冬といわれる今年もだんだんと雪が深く積もってまいりました。皆様にはご健勝のこととお喜び申し上げます。
 さて,このたび,占冠村において鬼峠とニニウに関するフォーラムが開催されることになりましたので,ご案内申し上げます。
占冠村では今年道東道のトマムIC〜十勝清水IC間の開通を控えており,今後数年の内に夕張IC〜十勝清水IC間が全通する見込みです。26年前に国鉄石勝線が開通したときはトマムリゾートが開業し,村は大きな変貌を遂げました。高速道路の開通によって村はどう変わるのでしょうか。大きな転機を迎えているこの時期に,村の原点とも言える鬼峠を振り返り,将来のことを考えてみたいと思います。皆様のご協力,ご参加をお願いします。 (以下略)

ドラマ「鬼峠」が放送された当時は,石勝線が開通し,トマムリゾートの開業で村が大きな変貌を遂げていた時代だった。一方,現在は高速道路の開通が目前に控えており,占冠村は激動の時代を迎えようとしている。今回のイベントはまさに絶妙のタイミングで開催されるのであり,村外からも多くの人が参加して将来を考える機会になればと思ったのである。

2月18日を申し込み締め切りにしたところ,旭川市の典宏さん,本別町のHさん,足寄町の千春の家さん,八雲町のガンビさんのお母さん,札幌市のRIE(cm_flo)さん,hamaさん,ごんすけさん,東京のガンビさん,あずさん,埼玉県の駅前旅館さん,滋賀県の牡丹灯籠さんと,道内外から計11名の申し込みを得た。

●村広報・チラシでの周知開始

2月28日に山本さんとM主査で打ち合わせがもたれて詳細が決定し,3月に入ると広報しむかっぷや新聞折り込みチラシで村民向けの周知が開始された。


新聞折り込みチラシ

広報しむかっぷ3月号

●3月5日,レストランメープルにて

この日,占冠駅前物産館2階のレストランメープルで山本さんと打ち合わせを行った。別に会って話すほどの内容ではなかったのだが,私も1時間の時間を与えられて話すことになった以上,なんとなくの雰囲気をつかんでおきたく,やはりそれはメールではわからないので直接伺うことにしたのである。M主査にも来ていただくはずだったが,体調を悪くされて午後から休暇を取られたとのことだった。

まずは各種費用,開場時間,移動手段,食事のことなどを確認。フォーラムの会場ではパイプ椅子でも並べるのかと思ったが,座布団を敷くつもりだとのこと。マイクは使うべきかと尋ねると,話が遠くなるので肉声のほうがよいと言われ,資料も配ると話しに集中しなくなるので,何もない方がよいとのことだった。かなりアットホームな雰囲気を目指しているらしい。我々仕事で出席するフォーラムというと,だいたい後ろのほうから席が埋まり,どう見ても内容に関心のなさそうな背広の男が目を瞑って腕組みしているというような光景をイメージするが,今回はまったくそのようなことはなさそうである。

交流会の食事はてっきり仕出し屋からオードブルでもとるのかと思っていたら,参加者自ら作るそうで,鹿肉料理も考えていると聞いて度肝を抜かれた。しかし,考えてみれば山本さんは北海道スローフード・フレンズの事務局もやっていて,昨年も札幌で石狩鍋付きのシンポジウムを企画されていたのだから,仕出し屋に頼むことなど毛頭選択肢にはなかったのであろう。

村内の参加申し込みは4日前に受付が始まったばかりだが,役場の吏員,村議,観光協会職員,社教委員,歯科診療所医師,外国人英語教師,星野リゾート・トマム社員など村役の方々を中心に既に12名の名前が見えた。新聞にチラシも入ったので,これからさらに増えるだろう。初日だけでなく,意外と鬼峠越えの参加者も多いようだった。

当日の「お話」の内容について,レジュメを渡して確認しようとすると,突然「今日取材させてもらってもいいですか」と聞かれた。山本さんが道新の通信員をやっているのは知っていたが,また不意を付かれてしまった。既に富良野支局長に話を通すなどすべて算段整っているようだったので,やむなく取材を受けることにした。

生年月日,出身校など基本的なところから話が始まり,当日話そうと思っていたことの半分くらいはしゃべってしまったが,質問に答えていく中で今回のフォーラムの意義が整理できたように思う。

 
帰りに占冠駅で札幌までの切符を求めると,常備軟券を出してくれた。

●3月14日,道新に記事が掲載される

フォーラムが3日後に迫ったこの日,北海道新聞の富良野地方版に記事が掲載された。スペースが確保されるまで待っていたとのことで,かなり大きく載せてもらった。

3月15日午前,村教委集計による参加人数の速報値として,3/17講演のみ39名,3/17 講演&交流会35名,3/18鬼峠越え19名,かなりの盛り上がりを見せているとの報告がM主査よりあった。トマムの細谷さんからは米国タブス社製の最新型スノーシューが11足届いたとの報告があった。一方,この日の道新ではニニウの一連の施設を札幌の不動産業者に売却する動きがあることが報じられた。

こうして,ニニウにまつわる動きがにわかに騒然としてきた中,私も15日,16日と帰宅後プレゼンテーションの作成に追い込みをかけ,当日を迎えることとなったのである。


2. 占冠へ向かう