3. 鬼峠交流の夕べ
定刻の16時ちょうどから,鬼峠交流の夕べが始まった。
●16:00〜16:15 山本さんのお話
冒頭,山本さんから占冠村の紹介,フォーラム開催の経緯について説明があり,本日のキーパーソンとして,私のほか,次の諸氏が紹介された。
- 自主創造プログラム事業に関する事務手続き一切を取り仕切った占冠村教育委員会のM主査
- 料理隊長の占冠村観光協会K事務局長
- 鹿を撃った森のかりうどT氏
- ニニウで生まれ育ったA氏
- 当時役場職員として投票箱を担いで鬼峠を越えた長谷川耿聰氏
- かつでニニウで暮らしていたガンビさん親子
●16:15〜17:15 講演
講演ははじめから終わりまでスライドを用いて行った。下表の目次はスライドの内容に対応しているので,これでおおまかな内容をつかんでいただけると思う。
第1章 占冠と上富良野1-1 運送業を営んでいた祖父1-2 泣く木の写真(祖父のアルバムから) 1-3 石勝線開通 1-4 占冠駅スタンプ 第2章 ニニウの思い出2-1 サイクリングターミナル(小学3年)2-2 林間学校(中学2年) 2-3 高速道路ができる(修士1年) 2-4 ホームページ作成 第3章 ニニウ概説3-1 昭和11年地図3-2 陸の孤島占冠 3-3 陸の孤島の中の孤島ニニウ 3-4 初代鬼峠の時代 3-5 2代目鬼峠の時代 3-6 石勝線建設工事とニニウ 3-6-1 占冠建設所平面図 3-6-2 鬼峠トンネル貫通式 3-6-3 清風山信号場 3-7 ニニウ年表 |
第4章 ニニウに魅了された人達4-1 岸本翠月4-2 三浦綾子 4-2-1 『泥流地帯』表紙 4-2-2 泥流被害写真 4-2-3 富良野地方史 4-2-4 新入小学校沿革誌 4-3 榎本守恵 4-4 ニコラス・デュボア3世 4-4-1 ニニウの農作業 4-4-2 赤岩青巌峡 4-4-3 ペンケニニウ川橋梁 4-4-4 ニニウ廃屋 4-4-5 ニニウ沼 4-4-6 ニニウ廃屋 4-4-7 鵡川 4-5 ニニウの魅力とは 第5章 ドラマ鬼峠5-1 ドラマ鬼峠概要5-2 新聞広告 5-3 鈴木ヨシノさん 5-4 鉄夫の家 5-5 鈴木家 5-6 佐藤邸 5-7 鬼峠入口 5-8 弓立沢橋梁 5-9 ペンケニニウ川橋梁 5-10 小別沢トンネル 5-11 ドラマにおける鬼峠の過小評価 第6章 まとめ6-1 ドラマが制作された時代背景6-2 高速道路の開通を目前にして |
第1章,第2章は,これを話しておかなければ,なぜ私がこの場に立っているのか疑問に思われるだろうし,4章の三浦綾子さんの話にもつながってくるところなので,少し時間をとって紹介することにした。
第3章からが本題である。占冠とニニウの地理的な位置を説明した後,ニニウ百年の歴史を初代鬼峠の時代,2代目鬼峠の時代,石勝線建設工事が行われていた時代の3つに分けて説明した。
第4章は恐らく占冠の人もあまり知らないことだと思われるので,ぜひ話しておきたい内容だった。写真家ニラスデュボア3世が写したニニウの写真を見せることで,ニニウの風景の紹介も兼ねることにした。
第5章ではこのあとのドラマ鑑賞会を前に,若干の予備知識を提供しておくことにした。
まとめとして,ドラマが制作された背景には,石勝線開通によるトマムリゾートの開発があったということを示し,高速道路の開通が目前に迫る現在も同じような状況にあるということで結んだ。
講演終了後,山本さんの求めに応じ,長谷川さん,元村長の観音さん,元ニニウ住民のAさん,ガンビさんのお母さんにニニウの思い出や講演の感想を語っていただいた。
●17:25〜18:15 ドラマ「鬼峠」鑑賞会
5分間の休憩を挟んで,いよいよドラマの鑑賞会が始まった。20年以上前に制作されたドラマがこうして蘇るのは感動である。ビデオテープは当時テレビ局から寄贈されたと思われる村教育委員会所蔵のものが使用され,コマーシャル部分が時間はそのままに空白になっていた。
●18:18〜 事務連絡
鑑賞会終了後,いったんの締めということで,M主査から宿泊や明日の日程についての事務連絡があった。「みなさんこんばんは。感動する公民館がテーマの占冠村公民館事務局です」「後ろから見ていると会場が感動に包まれている様子がよくわかりました」とのことで,本当に感動の中,無事講演と鑑賞会が終了して何よりだった。