7. 鬼峠の神髄
●10:18 鬼峠到着
標高約620メートルの鬼峠頂上に到着。私がこれまで思っていた場所と異なっていたが,送電線との位置関係からここに間違いないと説明を受けて納得。
リトルトリーの大野さんが雪の深さを当てるクイズを始めた。2メートルはあるだろうという大方の予想を裏切って,1メートル余りだった。写真はそんなに浅いはずはないと自分の手で確かめる自然写真家門間さん。
●10:38 鬼峠出発
ここから先がいよいよ鬼峠の核心である。勾配がきついため車道として改良されることもなく,往時のままの姿で道が残っている。
ガンビさんのお母さんもだんだんと記憶が蘇ってきた。先の「近道」を通ることが多かったものの,この二代目の道も通ることはあったらしい。写真は見覚えがあるというコクワの木。
かなり木が茂っているが,確実に道はついている。
分岐に差し掛かった。どちらに進むべきか,首脳陣3人が頭を突き合わせての議論は延々5分間にも及んだ。元ニニウ住民のHさんにも聞いてみたが,何せ50年近く前のことでわからないという。
結局,分岐を右に進んで正解だったようである。
きれいな雪のアンモナイト。
熊が木に登った跡を紹介する,トマムの達人西村さん。本職の自然ガイドが何人も参加している今日の鬼峠越えは,自然観察会としても魅力的なイベントだ。
リスの足跡 | ウサギの足跡 | ヒグマの足跡 |
エゾモモンガの食跡 | クマゲラの巣穴 | エゾシカの食跡 |
猿の顔に見える葉痕。
ペンケニニウ川に流れ込む沢に出た。かつて土場だったような広場があった。
ここはもうガンビさんのお母さんもはっきりとした記憶があって,この沢の奥にお爺さんが山小屋を作って仕事をしていて,ガンビさんをおぶってやってきたという。
もうニニウは近いと思ったら,沢沿いの道が決壊しており,急斜面の登坂や倒木越えを余儀なくされた。
鬼峠はかつてニニウサイクリングターミナルを拠点としたスノーモービルのコースになったり,ニニウに向かっての下りに限って稀に四輪自動車が通ることもあったというが,恐らく数年前にこの区間の決壊したことによって完全に廃道と化したのだろう。
岸本翠月先生は『しむかっぷの水害』で「日本人の通路は多く低地で川筋であるが,いざとなると峯をゆくアイヌ道が安全である」と書いているが,なるほど峯を行く鬼峠は廃道から50年近くを経てなおしっかりとした道筋がついていたのにもかかわらず,川筋の道はかなり荒れていた。
●12:19 ニニウ四の橋到着
ペンケニニウ川砂防ダム近傍のニニウ四の橋(早見助也宅跡)到着。ここまでが実質の峠越えの区間で,出発から約3時間40分を要した。
ニニウは占冠でいちばん暖かいところといわれる通り,ねこやなぎが芽を吹いていた。
ニニウ四の橋からさらにペンケニニウ川左岸の林道を2km下る。往時にはこの林道沿いに農家が建ち並んでいたニニウ街道とでもいうべきメインストリートである。
12時25分,一里塚通過。ニニウ駅逓跡から1里(=3.9km)のところに建てられていたと思われる木柱である。
12時39分,サイクリングターミナルから3kmの標識通過。
●12:56 石勝線橋梁下到着
ここがちょうどサイクリングターミナルから2km地点になる。全員の無事の到着を祝し,山本さんが一人一人に握手をする。
13時03分,釧路行き特別急行スーパーおおぞら5号通過。
観光協会Kさんと森のかりうどTさんが猪鹿汁を振る舞ってくれた。これがまたうまい。
●13:39 石勝線橋梁下出発
ペンケニニウ川沿いの道は今日のために除雪を入れてくれたそうだ。雪があるので立派な道路に見えるが,本来は乗用車が走るにも苦労するような細い林道である。ここまでバスが入るのは前代未聞のことではないだろうか。
ニニウでは若干の散策も予定されていたが,みんなお疲れのようなのでまっすぐバスで占冠に戻ることになった。それでも,ガンビさんには昔住んでいた場所をぜひ見てほしく,私からお願いして会田信宅跡でバスを停めてもらった。
二人はニニウでの大恩人だという会田さんの廃屋をしばし眺めた後バスに戻る様子だったが,ぜひ自宅跡も見るよう勧め,約150m南方にある自宅跡へ駆けて行った。
いままで写真で見てもらってもなかなかしっくりこなかったようだが,やはり現地に立つとすぐに場所がわかった様子。いまは跡形もなくなった雪原に,ガンビさんは富士山の石,お母さんは熊石の石を記念に置いていった。
ガンビさん方には慌ただしくて大変申し訳なかったが,見ているほうも涙を禁じ得ないような感動のひとときだった。
バスに戻り,ゆっくりと集落跡を通過していく。学校跡のあたりは高速道路の建設で著しく景色が変わっているが,そこを過ぎればまだ昔の面影も色濃く,ガンビさんのお母さんとHさんはここが何さんちの跡,ここが何さんちの跡と次々に指さしていく。
Hさん宅=「鉄夫の家」跡。昨年住宅が取り壊され,原木が積まれていた。
こうしてニニウの景色が遠ざかっていくとともに,ふとニニウの記憶がもう手の届かないところに行ってしまいそうな気がしてやるせなかったが,今日のような機会がこれで最後ではないと信じたい。あの石を,あの母子がまた見つけにやって来る日がいつかきっと訪れるであろう。
ニニウの集落を過ぎて断崖絶壁の道を進む。この難所を避けるために,長い間わざわざ鬼峠を越えていたのであり,今もって通行は容易でない。崖の上には鹿がたくさんいた。
赤岩橋の上には新しい橋が架かっていた。真っ赤な赤岩橋は鬼峠に代わって47年間に渡りニニウと本村を結んで来た。占冠のシンボルともいえる名橋だっただけに,「何だか昔の橋が小さく見えるねえ」と残念がる参加者もいた。新道の開通は来月9日に控えており,車でこの橋を渡るのは最後になるだろう。
●14:16 道の駅到着
出発からおよそ6時間でまた道の駅に帰ってきた。全員が無事峠越えを達成した喜びを分かち合い,ここで解散した。
札幌から参加したhamaさんとRIE(cm_flo)さんと私は,hamaさんの車に同乗させていただいて,稲里の樹海温泉で汗を流した後,札幌に帰った。