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ニニウと私 2003年

●2003.1 ORRの道路調査報告書に道道136号夕張新得線の夕張側未開通区間が掲載される

1月18日,今までの道路情報サイトの概念を覆すORRの道路調査報告書というサイトが開設され,各界に衝撃をもたらした。同月29日,当方の掲示板に開設者であるへなり氏から書き込みがあり,狩振国境区間の壮絶な走行レポートを目の当たりにした。

●2003.5.16 Nicholas DeVore III氏自尽す

「Village Japan : the four seasons of Shimukappu(写真集:占冠の四季)」の写真家Nicholas DeVore III(ニコラス・デュボア三世)氏がピストルで心臓を撃ち抜き自殺した。このことはニニウのGさんからのメールで知った。ニコラス氏は米国コロラド州アスペンの人で,占冠村とアスペン市が姉妹都市提携を結んだのが縁で数度にわたり来村し,開村90周年記念の写真集に作品を提供することとなった。日本人にはない感性で本当に美しい村の姿が描写された希有の写真集だっただけに,写真家の死には衝撃を受けた。

ニコラス氏の写真は村のポスターにもなった。

●2003.6.16 関兵精麦が民事再生法申請

昭和58年6月にアルファリゾート・トマムの開発に着手し,トマムの施設の6割を所有していた関兵精麦(せきひょうせいばく=本社・仙台)が東京地裁に民事再生法の適用を申請した。残り4割の施設を所有していたアルファ・コーポレーションは既に1998年に破産宣告を受けて施設は村が買い取り,加森観光が関兵所有分と併せてトマムの全施設を委託運営しているという状況であった。その後関兵が所有していた施設は星野リゾートに売却され,一時は加森との関係が懸念されたが結果的には協調して運営に当たることとなり,客足も堅調のようである。

トマムが何とか持ちこたえたのはよかったが,リゾート地とは本来はかないものである。未来永劫最後に残るのは赤岩青巌峡やニニウの本物の風景であり,経済的な影響を考えればトマムに比べてとるに足らないかもしれないが,一方でニニウのような素朴で美しい風景も大事にしていかなければならないのだと思う。

●2003.6.27 ニニウキャンプ場再開

ニニウキャンプ場は大雨の影響で前年8月9日に閉鎖されていたが,6月27日から営業を再開する旨,村のホームページに掲載された。ニニウへは福山側からのみアクセス可能のようである。サイクリングターミナルは休館のまま。

●2003.8.1 自然体感ニニウの森が「遊々の森」に指定される

「遊々の森」は住民や青少年が森に親しみ学ぶ場として活用するため森林管理所と自治体が契約を結び利用するという林野庁の事業で,ニニウの国有林7ヘクタールが遊々の森に指定された。森の中には3つの散策コースが設けられ,木を利用したベンチや樹木名を示す看板が設置されているという。10月25日には村民ら約30名が参加してオープン見学会が開催された。

広報しむかっぷ12月号より

●2003.8.9 台風10号襲来,ニニウキャンプ場閉鎖される

この日占冠村は1日の降水量が236mmという記録的な豪雨に見舞われ,中央市街地が水没するという昭和37年台風9号以来の大惨事となった。この豪雨によりニニウキャンプ場は閉鎖。福山側の道道も通行止めとなり,ニニウ地区は再び孤立した。

●2003.11.30 占山亭閉店

10月7日,東京のあずさんから,占冠物産館の占山亭が11月末で閉店する旨の知らせあった。それを知って私も10月13日に占山亭を訪れた。17時半頃だったが,ほかにお客はなく店長さん一人だった。律儀な店長さんがいつものように「いらっしゃいませ」と迎えてくださり,とんかつを注文。シーンとした店内で,店長さん自らテーブルに運んでくださった料理を前にすると,もう万感こみ上げ手は振るえ,涙がぼろぼろと落ちてきた。

振り返れば,中学生のとき以来久々にニニウを訪れようと占冠駅に降り立った1998年6月7日には,物産館の2階は空き家になっていた。占山亭がオープンしたのはそのわずか1週間か2週間後のことだった。だから,ニニウと私のここ5年のあゆみとともに占山亭があったのである。ニニウに行くたび,占冠駅に降り立つたびに占山亭を訪れ素敵な料理をいただいた。

店をやめる理由は「もう歳だし中途半端な仕事はしたくない」から。美しいイメージのまま店長さんは店を去っていった。

ありし日の占山亭

●2003.12.19 占冠駅にて

この日は札幌から釧路への帰途,占冠駅で下車した。占山亭は予定通り閉店しすっかり寂しくなっていたが,意外なことに後継者がすぐ見つかったようで,23日から新レストランがオープンすると貼り紙がしてあった。これからますます冷え込みが厳しくなる寒村に,またあの暖かなレストランの明かりが戻ってくるのだ。

●2003.12.19 鬼峠トンネルでコンクリート片の落下事故

札幌から帰ってきたこの日の夜,鬼峠トンネル上部のコンクリート壁の一部がはがれ落ち,走行中の特急列車の窓ガラスにひびが入るという事故が起きた。また翌20日には第二ニニウトンネル内で,特急スーパーおおぞら4号の窓ガラスにひびが入っているのを乗務員が発見した。ここ数年,何かとニニウは新聞紙上を賑わしている。


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