玉置屋のところでいったん国道に出る。
看板に従って旧国道に入る。国道から折れてすぐ,佐幌川を渡る橋は昭和41年10月竣工とあった。奇しくも根室本線の切り替えと同時に竣工したわけだ。
映画祭の会場となる新内ホールの古びた看板。
このあたりはファームインの先進地である。
旧国道の風格が漂う路。手元に資料がないので正確なことはわからないが,恐らく昭和30年代後半までは国道に指定されていたはずである。
廃屋も旧道ならでは。
新得は電力の集中地帯である。オホーツク海側を含めた道東の電線を新得開閉所で一手に束ね,三本の送電線が脊梁山脈を越えて道央と結んでいる。写真の電線は双珠別付近を経由して奥新冠など日高の電源地帯と結ばれている。
新得駅から歩くこと1時間50分。会場の新内ホールに到着した。新内ホールは昭和49年3月に閉校した新内小学校の建物を利用した施設。校門の脇にはかつて国道が通っていたことの証である水準点があった。
会場に着くとちょうどギリヤーク尼ヶ崎さんが公演の準備をしているところだった。
ギリヤークさんのことは詳しく知らないが,函館出身ということで道新の記事で何度か見たことがあった。私がこれまでに見た有名人といえば城之内早苗さんや瀬戸内寂聴さんなどだが,世界的な知名度でいえばギリヤークさんがいちばんだろう。
夢 | 白鳥の湖 | じょんがら一代 |
ポータブルのスピーカーから聞こえてくる少しこもったような趣深い音楽に合わせて踊りが披露される。世界最高峰とされる芸を前に,観客もやや緊張の面持ちで見入る。
演目が変わるたびにカバンから衣装や小道具がとりだされ手際よく着替えていた。新聞の写真で見た感じ,正直いって長髪でこきたないイメージがあったのだが,実際に見てみると実に清潔な感じで,衣装もどこで洗濯しているのかわからないが,クリーニングしたてのようにきれいだった。
しばらく無言で踊り続けていたが,途中から観客と話をする場面も出てきて和やかな雰囲気になった。新聞のインタビュー記事では気難しく怖い人というイメージがあったが,実際は気さくで人の良さそうなおじいさんだった。「よされ節」は観客を巻き込んで演じられた。
最後は十八番の「念仏じょんがら」。74歳とは思えぬ俊敏な動きでグランドを飛び回り,水たまりの中を転げ回ったり,バケツの水をかぶったりもうめちゃくちゃである。しかし見た目はどろどろでも,芸には光るような美しさがあった。
ギリヤークさんの芸を見ていちばん素晴らしいと思ったのは,日本人の精神を見事に体現していることだ。白鳥の湖のような洋楽で舞うときにも,日本人としての普遍的な姿はまったく揺らぐことがない。だからこそ世界的に高い評価がされているのだろう。
終わりにはいちおう音がしない程度の投げ銭をしておいた。