北海観光節小さな旅行記JRとバスで巡るラベンダー先どり紀行

招魂祭

昨夜,実家に電話したとき,母が「招魂祭を見に来るのかい」と言った。招魂祭では何があるのかと問えば,「社会を明るくする運動」の音楽パレードがあるとのことだったが,見る価値はあるかと聞くと,

「ない!」

とあっさり言われた。

しかし,本当は午後からも周遊バスの四季彩コースに乗るつもりだったのだが,周遊バスと音楽パレードを天秤にかけてみれば,どう考えたって,音楽パレードを見るべきなのである。音楽パレードはわたし自身が参加した昭和63年以降,一度見たかどうかで,もう長いこと見ていない。

招魂祭という行事がほかの町でも行われているのかどうか知らないが,日露戦争以来の戦死者の英霊を供養する祭事として,上富良野では毎年7月1日に行われている。

かつては招魂祭に合わせてスポーツ大会や芸能発表会が盛大に行われていたが,いまでは「社会を明るくする運動」の一環として音楽パレードが細々と続いているのみである。

日の丸や町章の旗を持った奥様方が行進して来たので,悪い予感がしたら,やはり母がいた。昨日,見る価値がないと言っていたのはそういうことだったのである。

江幌小学校

動画再生(WMVファイル,1.0MB,14秒)

音楽隊の最初は江幌小学校。江幌小は江幌,静修という大開拓地を抱え,往時には160名あまりの児童がいた。しかし,町内でも特に離農が早く進んだ地区で,わたしの小学生時代には既に全校児童が10数名となっていた。しかしその後,特認校に指定されて山村留学を受け入れていることや,新規移住者が多い地区であることから,児童数は10人台を維持している。

スクールバンドは児童全員によるもので,町内の学校の中でもいち早く電気式の拡声装置を採り入れ,かつては腰に重たそうなスピーカーをぶら下げて行進していたが,最近はキーボードと拡声器が一体型になった便利な楽器があるようだ。

東中小学校

動画再生(WMVファイル,1.3MB,33秒)

東中(ひがしなか)は中富良野の東にあるので東中というのであるが,当初鉄道の駅が東中にできるという話しがあったことから,町内でも早期に入植が進んだところで,いわゆる名士,名家と呼ばれる農家が多い土地柄である。そのため,独立の気風が強く,小学校で演劇や映画鑑賞会をやるときにも,東中を除く町内の学校はすべて上富良野小学校に集まるが,東中だけは独自で鑑賞会を実施してきたというような歴史がある。

スクールバンドは,ビシッと揃っており,誇り高き東中の伝統は健在だが,あまりの人数の少なさに涙が出てきた。往時は400名を超える児童を有し,我々の頃でも100名はいたのが,いまでは36名である。純粋な農業集落だけに,農家の減少がそのまま児童数の減少につながっている。

人権擁護委員,民政児童委員協議会,社会福祉協議会
ライオンズクラブ 少年消防クラブ 子ども会育成協議会,生活安全推進協議会

音楽隊の合間には村役達が登場してパレードに花を添える。

上富良野西小学校

動画再生(WMVファイル,1.1MB,28秒)

もう涙が止まらない。これが本当に西小学校なのか。

わたしが小学生の頃,スクールバンドといえば鍵盤ハーモニカとアコーディオンが主体で,それにいくつかの打楽器とトランペットが加わるというのが定番で,どこの学校も同じようなものだった。

それが昭和62年,わたしが小学5年生の時のこと。西小学校は開校20周年事業でいきなり金管楽器を6年生全員分買いそろえ,我々の前に現れたのである。我々にしてみれば黒船がやってきたようなもので,上富良野小学校は児童も父兄も大騒ぎである。

地域柄,上富良野小学校の校区には自衛隊の幹部職員や商工業者が多く,西小学校に負けてなるものかというプライドがあった。さっそく,父兄やOBが寄付金集めに奔走し,その年のうちに120名全員分の楽器の新調が決まった。

5年生の冬,全員にマウスピースが渡され,ヤマハから講師を迎えて特訓が始まった。3月16日には,ついに全員分の金管楽器が到着し,4月には新たに赴任したベテラン音楽教諭が先頭に立ち,先生方全員が一丸となって我々6年生の指導に当たってくれた。最初に覚えたのが「こんにちはトランペット」で,とりあえず2曲おぼえて6月の運動会でお披露目となり,その様子はテレビや新聞でも紹介された。

3曲目を練習して臨んだのがこの招魂祭の音楽パレードだったのだが,3曲目に関してはまったく練習が不十分で,スタートの直前まで友達同士,あそこがどうだこうだと話し合っていた。それを見かねた先生が,「もういい加減やめなさい」と言ったときの不安げな表情が今でも忘れられない。

我々の父兄を燃え上がらせ,血を吐く思いで奔走せしめた,かつてのライバル・西小学校がいまやこんな寂しい姿になってしまったのかと思うと,どうにも切なくて涙が止まらなかった。

上富良野小学校

動画再生(WMVファイル,1.2MB,31秒)

いよいよ上富良野小学校登場。わたしが入学したときは900名の児童を有し,上川管内最大の小学校だったのが,現在は半減して富良野小学校にも抜かされた。スクールバンドも我々の頃は120名編成で,トランペットだけで60〜70台はあったのが,いまや3分の1になっている。

しかし,上富良野小学校の金管バンドは健在。我々の頃より数段レベルの高い演奏を聴かせてくれた。

子どもが減った寂しさ,金管バンドの伝統をしっかり受け継いでくれたうれしさ,そして,わたし自身が町の少子化に加担している情けなさ,いろいろな感情が織り混ざって,涙が止まらない。

上富良野中学校

動画再生(WMVファイル,1.6MB,43秒)

続いて,上富良野中学校がバスチューバ3台を従えた長大編成で登場。どうも中学生が奏でるフルートを見ると,やるせない思い出が蘇ってきて泣けてくる。

プログラムでは吹奏楽部となっていたが,吹奏楽部だけでこんなにいるとは思えない。推察するに,上富良野小学校,西小学校では児童減で100台単位で楽器が余っているはずである。この楽器を中学校が譲り受け,有志で音楽隊を組織しているのではないか。

演奏は見事なものである。聞くところによると,7/15〜7/16に開催される「かみふらの花と炎の四季彩まつり」のあんどん行列で,15日は自衛隊の音楽隊が先陣を務めるが,16日は自衛隊が中富良野のラベンダー祭りにかり出されるので上富良野中学校が先陣を務めるという。

陸上自衛隊上富良野駐屯地 音楽隊

動画再生(WMVファイル,1.1MB,29秒)

学校関係が終わり,いよいよ軍楽隊の登場。人口1万人あまりの小さな町で,音楽パレードが細々と続けられているのは,いちおうプロの音楽集団としての自衛隊があるからだと思う。

学校法人専誠寺学園 上富良野高田幼稚園

動画再生(WMVファイル,1.6MB,45秒)

大トリは高田幼稚園。町内の幼児教育を一手に引き受け,全道屈指の規模を誇る私立幼稚園である。わたしも幼稚園から大学に至るまで5つの教育機関で教育を受けたことになるが,いちばん誇りに思っているのは高田幼稚園で教育を受けたことである。

カラーガードを先頭に,鼓笛隊,ベルリラ,ピアニカ,そして園児バス,と,この幼稚園だけは我々の頃とまったく変わらない元気な姿でやってきた。この鼓笛隊もわたしが年長の時に楽器類が新調されて組織されたもので,いまもだれが何の楽器を担当していたか思い出すことができる。


上富良野という町は,自衛隊の恩恵を受けて道内の市町村の中でも人口減少率が小さく,学校の統廃合も昭和54年3月の日新小学校閉校を最後に行われていない比較的元気な町である。それでもこれだけ寂しくなってしまっているのだから,他の町村の惨状といったら目も当てられないほどだろう。

無論,地球が限界に来ている中で,人類が生き延びるには人口の減少しか道はなく,過疎化は自然の摂理に従ったものといえるかもしれないが,我々の父祖が築いてきた町が,人口の減少によりがたがたと音を立てて崩れていく様子を見るのは,個人的感情として忍びがたいものがある。

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