北海観光節小さな旅行記白金「青い池」を訪ねる

白金「青い池」を訪ねる その3

2011年9月10日(土)

白金温泉は,私が訪れた回数の最も多い温泉である。子供の頃,毎年の商工会の家族慰安旅行で訪れたり,銭湯のような感覚で,夜,父の仕事が終わった後に風呂に入りに来たものである。

しかし,それも昭和63年の秋が最後となった。その年の秋,十勝岳が噴火したのである。噴火の規模自体はたいしたことがなかったが,噴火のさなか,祖母が喀血して入院。噴火は確実に祖母の寿命を何日か縮めたと思う。家の前の道路は,後に避難道路として整備されることとなり,私の生家や畑はいまや跡形もない。そういう意味で,昭和63年の噴火の影響は大きかった。

昭和63年の噴火の被害は,実態としては地震であった。火山性の地震というのは震度では表せないような,下から突き上げられるような衝撃がある。このホテルパークヒルズも当時甚大な被害を受けた。オープンして間もなかっただけに,これはもう立ち直れないのではと誰もが思っただろう。

しかし,それからよく立ち直って,いまは元気に営業している。

今日は,初めてパークヒルズの温泉に入ってみる。白金温泉はどの施設も源泉かけ流しで安心して利用することができる。

温泉はぬるめでゆっくり浸かるつかることができて良かった。

日が暮れてきた。

子供の頃によく家族で来ていたのは,この大雪山白金観光ホテルである。

白金温泉18:17発→美瑛駅前18:46着 道北バス 白金線

温泉街中心部にあるバス停から乗車したが,既に車内には地元の人たちが10人くらい乗っていた。国民保養センターか銀瑛荘で入浴してきたのだろうか。

パークヒルズのお土産屋で買った,青い池ゼリー。しかしこれがくせ者で,ふたが何としても開かない。防犯フィルムのような強力なフィルムをがっちり容器に溶着しているのである。やむを得ず家まで持ち帰ることにした。

バスが美瑛市街に入ると,またこまめにバス停に停車し,乗客を1人,2人と降ろしていった。乗客どうし顔見知りらしく,それじゃあとか一言かけてバスを降りていった。まさに普段着の温泉の光景である。

バスは美瑛止まりなので,終点の駅前で下車。JRの上り発車時刻まで1時間ほどあるので,駅前の食堂で夕食をとる。今日は,初めて駅前すぐにある「食事処戀や(こいや)」に入ってみる。

名物の「つけ麺風カレーうどん」と追加ライスを頼んだ。これは野菜たっぷりでおいしかった。

「びえい新聞」がファイルに綴ってあったので,興味深く読んだ。上富良野と美瑛は昔から人口を張り合っているが,美瑛は自衛隊がない分,同じ人口規模でも,街の大きさとしては2倍くらいに感じる。地元の新聞も上富良野ではなくなって久しいが,美瑛ではこうして健在だ。

新聞をめくっていると,中学時代の恩師が美瑛中の校長として赴任したという記事が載っていた。小中高を通じて,いま唯一年賀状をやりとりしている先生であるが,一般の先生とは少し違った感覚を持った先生で私も大いに影響を受けた。来春,卒業後20年にして初めてのクラス会があるというので久しぶりにお会いできるとすれば楽しみである。

もう一つ気になった記事は,敬老会の案内だった。広大な美瑛では地区別に敬老会をやるそうで,各地区の75歳以上の高齢者の人数が載っていた。美瑛というのは市街地が比較的小さく,各地区に分散して人が住んでいるイメージがあったが,高齢者の実に4分の3は市街地にいるということだった。二股,五稜など少し前まで小学校のあった地区であるが,子どもはもとより,高齢者もひとけたしか住んでいないのだ。これには衝撃を受けた。

美瑛19:47発→旭川20:19着 JR富良野線 旭川行き普通列車

今日初めての列車。

旭川到着。今日はこれでおしまい。

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