北海観光節小さな旅行記「北の国からと石勝線30周年」

「北の国から」と石勝線30周年 その1

2011年10月8日〜10日

昭和56年10月9日に放送が開始されたテレビドラマ「北の国から」,昭和56年10月1日に開業したJR石勝線,ともに今年30周年を迎えた。昭和56年といえば,私は幼稚園の年中だったが,それから30年の歴史は自分自身の歩みにも重なるところがあって,「北の国から」や石勝線に対しては特別の感慨を持っている。

放送からちょうど30周年となる10月9日には倉本聰さんの講演会が開催され,翌日は石勝線30周年の記念列車が走るということで,これらのイベントに参加してみることにした。

2011年10月8日

旭川発22時37分の最終列車で富良野に向かった。明日は「黒板五郎の流儀」バスツアーに参加する。朝に旭川を発って十分に間に合うのだが,富良野市内に1泊以上宿泊することが参加条件となっているため,やむを得ず前泊することにした。

23時41分富良野駅に到着し,ハイヤーで宿へ向かう。運転手さんに「仕事ですか」と問われた。宿は北の峰のホテルナトゥールヴァルト。富良野でホテルに泊まるのは初めてだ。

2011年10月9日

ホテルの目の前に展望台ができていたので登ってみた。今年できた展望台だという。

 

5分ほど登ると「北の峰展望台」に到着した。残念ながら朝もやで眺望は得られなかった。

8時45分,ホテル前にツアーのバスが到着した。車内は意外と空いていた。

北の国から資料館隣に今年開設された「北の国から」広場でいったん全員バスを降り,ここで正式な受付を行った。

 

今年富良野市では,倉本聰さんの総合プロデュースによる「北の国から」放映30周年記念事業実行委員会が組織され,6月1日から様々なイベントが行われてきた。「北の国から」広場は,記念事業の中核として,案内所や限定グッズの販売コーナーが設けられている。

9時ちょうど,「黒板五郎の流儀」バスツアーの開始。ガイドはふらの観光協会の野村守一郎氏。富良野塾の第6期生で,北の国からではロケセット建築担当として,「石の家」や「拾って来た家」の建築に携われてきた方である。

乗客は定員に満たない14名。参加料金が9500円で宿泊が必須というのはハードルが高かったのか,北の国からの誕生日にしてはやや寂しいと思った。バスツアーの後,講演会に参加する人も,いるにはいたが少数だった。

それでも道内外各地からの参加者があり,参加者はそれなりの思い入れを持っている人たちのようだった。富良野が初めてだという参加者も半数近くいた。

布部駅

 

9時15分,布部駅に到着。ドラマは黒板五郎,純,蛍が布部駅に降り立つところから始まる。駅前には倉本聰氏直筆の「北の国此処に始る」という看板が掲げられている。「北の国から」の放送開始と同じ年,同じく倉本聰脚本による「駅 STATION」という映画が公開されているが,「北の国から」でもやはり駅はシンボリックな存在として描かれ,布部駅は連続ドラマでたびたび登場している。

ドラマの設定では,黒板五郎が2人の子供を連れて帰郷したのは昭和55年であるから,国鉄石勝線開業前で,まだ布部駅を通る根室本線が道央と道東を結ぶ大動脈としての役割を果たしていた時代である。その後,布部駅は無人化されたが,外壁が改修されたほかは,当時の姿をよく残している。

野村さんは,布部駅はパワースポットだと言っていた。たしかに,ロケ地であるかどうかにかかわらず,何か力を感じる場所である。

布部駅を15分ほど見学し,バスで麓郷に向けて出発。畑から立ち上る蒸気が白くなって見えるのは,この時期ならではの風景。

麓郷街道を行く。

野村さんの解説は,あまり知られていないエピソードを交えつつ,いわゆる「中の人」ならではの思慮があり,聞いていて心地よいものだった。

BSフジでは7月18日から連続ドラマ「北の国から」を再放送しているが,市販のDVDを再生しながら放送を見ている熱心なファンもいるそうだ。実は本放送には含まれているが,DVDではカットされている場面がいくつかあるのだという。これは初耳だった。

麓郷の森

9時50分,麓郷の森に到着。ここには連続ドラマに出た「黒板五郎の丸太小屋」と,'87初恋,'89帰郷で使用された「五郎の3番目の家」が保存されている。

私が初めて丸太小屋を訪れたのは昭和57年の7月である。当時子供ながらに丸太小屋を見たときには,テレビで見たイメージと重なったのを覚えている。「北の国から」の最初のシリーズは22時からの放送だったので,私が最初に見たのは,たしかシリーズが完結しないうちに始まった再放送だと思う。

昭和57年に訪れた時は,当時ひどい悪路だった八幡丘の道を通ったのであるが,そのでこぼこ道が嫌でたまらなかった。そして,翌日から命に関わる大病を発症してしまった。いま思えば,前日からすでに体調が悪く,それゆえでこぼこ道が余計に辛く感じたのではないかとも思うが,病床の私は両親に向かって,「病気になったのは嫌だといったのに無理やり麓郷に連れて行ったからだ」と泣き叫んだ。

幸い,原因不明のまま開腹するという町立病院の外科の先生の勇断により,一命を取り留めたが,もしあのときそのまま命を失っていたら,「北の国から」に恨みを持って死んでいっただろう。私には,そういう忘れられぬ思い出のある丸太小屋である。

 

「灯は小さくても いつもあったかい」という看板も,昭和57年当時からのものであるが,いまでは判読しがたくなってしまった。

 

「五郎の3番目の家」。北海道らしい腰折れ屋根の廃屋である。

この家の前で,ガイドの野村さんから,純君にとって,誰と結婚するのがいちばん良かったのかという質問がなされた。9月17日に演劇工場で行われた記念トークライブでも観客に対して同じ質問が出されたという。

今日の参加者では恵子ちゃんに手を挙げた参加者は2人。洞口依子のエリちゃんはゼロ。れいちゃんは根強い人気がある模様。いちばん支持者が多かったのは,結ではなくシュウちゃんだった。

しかし,そういうことは正直言って私にとってあまり関心のあることでなかった。「北の国から」は,尾崎豊の音楽が使われた「'87初恋」以降,爆発的に視聴率が伸びたという。一方,私にとっての「北の国から」は,「'84夏」以前がほとんどすべてである。それも,黒板一家に共感するということはあまりなく,いちばん好きなシーンは,雪に埋まった車を笠松杵次の馬が助けに来る場面。清吉おじさん,草太,沢田松吉といった,脇役にむしろ共感するところが多かった。それに,'84夏までは,私の原風景にも重なる富良野のまちが最も元気だったころの姿が随所に映っている,ただそれだけで懐かしくてたまらないのである。

40分の見学を終え,バスは怪しい道を進んで,石の家へと向かった。

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