北海観光節小さな旅行記雲海・ガーデンショー・ドライブインの旅

北海道ガーデンショー1

10時30分,北海道ガーデンショーの会場に到着。北海道ガーデンショーは清水町の十勝千年の森を会場として,6月2日から10月18日まで開催されている。

ガーデンショーと聞いて,歌か何かで似たような名前を聞いた気がした。

CDを調べてみると佐良直美の「花のフェスティバル」という歌があった。

いや,もっと近いのがあったはずだとさらに探っていると,それは「フラワーショウ」という音曲漫才トリオの名前だった。

いずれにしてもガーデンという言葉は含まれていなかったのであるが,ガーデンとかガーデニングというのは日本では比較的最近になって使われ出した言葉だと思う。

こうした植物に関わる言葉が,私はどうも気になるほうである。

まず,植物全般を指して言う「みどり」という表現が,とても嫌いだ。これは植物を単なるモノとしてしか見ていない人の言葉だと思う。

「ハーブ」とか「観葉植物」もスイーツ的表現の元祖のようなものである。これは植物には「花」があるのに葉っぱしか見ていないという点で「みどり」の域を出ていないし,多様な植物が「ハーブ」や「観葉植物」と十把一からげにされ,たいていその名を問われることがないのも植物を卑下しているようである。加えて,これらは特に難しいことなくずぼらな人でも育てることができる。手間をかけることが楽しみだった園芸が,ハーブや観葉植物の登場で見たり匂いを嗅いだりするだけのものになってしまった。


その流れで従来の園芸を「ガーデニング」と称する風潮にも違和感がある。園芸の本質は「育てる」ことにあったはずだが,いわゆる「ガーデニング」には育てるという要素がほとんど含まれていないといってよい。

これは,園芸という趣味の世界が経済に飲み込まれてしまった結果だと考えている。

会場入り口近くにあった「グリーン・マーケット」。

もともと園芸は,種まきから始めるのが当たり前だったのだが,タネというのは商売としてあまり儲かるものではない。それで,経済が少し豊かになると,花のついた苗が出回るようになり,それを買って植えるのが当たり前になった。人気のある品種に至っては,大手種苗商がタネを流通させず,苗でしか販売しないという戦略をとっている。

いまから10数年前に最初のガーデニングブームが訪れたが,当時は一年草が主体で,これは非常に手間がかかり,家庭の主婦が片手間でやるには負担が重すぎた。そこで数年前から流行を見せてきたのが宿根草を主体としたイングリッシュガーデンである。宿根草はタネまき栽培が難しいので園芸屋の独壇場であるが,これも庭がいったん宿根草で埋まってしまうと苗が売れなくなるので,最近のガーデニングの主役は植物ではなく雑貨に移っている。

花柄の移植ごてとか,何かが間違っている気がする。イングリッシュガーデンというのは花の時期が短いので,どうしてもこういうモノで華やかさを補わないと見劣りがする。それなら手間をかけるのを惜しまないで,庭の中の一部だけでも見栄えのする一年草を植えればよいのだ。

園芸用品売り場。輸入のカラフルな道具が売られていたが,実用性と価格のバランスを考えると魅力を感じるものは何もなかった。タネも輸入品だというだけで珍しいものではなく,販売者のこだわりも感じられなかった。本当に花が好きでやっているタネ屋さんであれば,種袋の陳列の仕方にもこだわりが感じられるものだ。

  

売店の間の木には,赤や紫,黄,橙といった色をテーマにした寄せ植えで飾り付けがされており,見栄えのするものだった。しかし寄せ植えというのも園芸屋の戦略で,一年草の花付き苗や培養土を使い捨てで消費させるものである。かつてはインスタント園芸と揶揄されていたやり方である。

昨今のガーデニングブームが問題だと思うのは,それによって市販されるタネの種類が年々減っているように感じられるからだ。農業の分野では問題がないわけでもないF1(一代交配種)であるが,私は家庭で楽しむ分にはF1でもよいと思う。F1も固定種もいろいろあってよいと思うので,タネから育てるという喜びだけは奪わないでほしい。

 

こちらは,常設の売店・マンサードホール。売っているものは観光地にある大衆的なお土産屋とそう変わらなかった。

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