北海観光節>小さな旅行記>雲海・ガーデンショー・ドライブインの旅
北海道ガーデンショーを見るのにどのくらいかかるのか,まったく時間が読めなかったが,2時間で十分だった。早々にバスで引き上げることにする。
車内には来るとき一緒だった人たちもだいたい乗っていた。ほかの人たちも何か疲れた感じで,車内は沈んだ雰囲気だった。
芽室駅前で下車。思いのほか早く予定をこなしてしまったので,これからどうしようかと思った。
とりあえず,駅から近いレストランで食事をとることにした。
芽室町は新・ご当地グルメとして「十勝芽室コーン炒飯」を売り出している。じゃらんのヒロ中田氏のプロデュースにより,2008年7月に誕生している。
ファミリーとんかつの店「あかずきん」で,Aセットを頼んでみる。チャーハンの上にスイートコーンがたっぷりとのっていておいしかった。とうもろこしも昔は収穫期の一瞬を逃せば,粉にして食べるしかなかったと思うが,年中こういうジューシーな食べ方ができるとは技術も進歩したものである。
食事の間,これからどっちへ向かおうかずっと考えていた。今日から富良野演劇工場で公演が始まった「明日,悲別で」を見に行こうかと思ったのだが,富良野であればいつでも行けるので,ぎりぎりの判断で,下りの列車に乗った。乗った列車は,釧路行きの「日本一長い距離を走る定期普通列車」であった。
日本甜菜製糖芽室製糖所に入っていく専用線。この5月を持ってついに廃止された。
専用線は根室本線に合流することなく,約5kmに渡ってJR線とに並行し帯広貨物駅に至っている。
西帯広駅の手前で日本オイルターミナル帯広営業所の専用線が合流。専用線の廃止の直接的な理由は,この日本オイルターミナル帯広営業所の廃止であった。運行を受託していた十勝鉄道が,日甜の貨物輸送のみでは採算が取れないと判断したためだという。
帯広貨物駅に留置されていた十勝鉄道のDE10,DE15形ディーゼル型機関車。
帯広駅到着。
旭川へは帯広から層雲峡経由で帰ることにした。帯広〜旭川間の都市間バスは,狩勝峠経由と三国峠経由が両者とも所要3時間40分で結んでいる。三国峠経由のノースライナーみくに号に乗るのは今回が初めてである。
帯広を出て50分ほどで,上士幌市街を通過。
実は,私の家はかつて,上士幌に住んでいたことがある。戸籍上では昭和2年1月から昭和22年5月まで上士幌に籍を置いているが,実際には大正15年のうちに入植したと聞いている。その年,上士幌には国鉄士幌線が到達し,開拓のピークを迎えていた頃だった。
三浦綾子の小説「続泥流地帯」では,主人公の耕作が,被災後まもなく見切りをつけて士幌に移っていた山根東太郎という人物の家と土地を借りて再興を志すという場面があるが,私の家もそうして士幌に移っていった罹災農家の一軒だった。
より大きな被害を受けながらも復興の道を選んだ農家も多い中で,曽祖父はなぜ移住の道を選んだのか,そして終戦後再び上富良野に戻ることになるのであるが,それは何を意味するのか,子供のころから気になってきたことではあるが,最近になって少しずつわかってきたこともある。
上士幌の市街からさらに10kmほど北進した清水谷地区。上士幌では子供たち(祖父の兄弟)の通学の便を考えて町の中に住んでいたが,曽祖父は牧場を借りて馬を飼っていた。それがこの清水谷のあたりだという。
この牧場のことについて,私はほとんど聞かされていない。一度だけ,祖父がもうろくしてきた頃,私のことを父の名で呼び,牧場の柵を乗り越えて熊が襲ってきた話を聞かしてくれたことがあった。
清水谷神社 | 清水谷駅跡付近 |
曽祖父は馬が好きで牧場をやりたいという夢を持っていたらしい。それで,義捐金を元手に新たな土地で牧場を始めたのだが,結局,熊の被害に遭って,牧場はうまくいかなかったようである。その牧場が,具体的にどこにあったのか,記憶にある人たちがまだかろうじて生きているうちに何とか確認しておきたいと思っている。