9時ちょうど,昨日と同じ占冠村コミュニティプラザで,2日目のプログラムが始まった。
最初は,占冠在住の元山子さんである早出昭寛さんと村上長三さんを迎えて,むかしの山仕事をお聞きするコーナーである。
今回のセミナーの資料には,いまでは誰もわからない山仕事の言葉がちりばめられていた。またホールの前には,郷土資料館から借りてきた,山仕事の道具が並べてあった。
山で木を伐り出す仕事をしていた人たちを,山子(やまご),杣夫(そまふ)などというが,その仕事の内容は伐るだけではなく,川沿いの下土場に至るまで様々な作業が役割を分担して行われていた。
伐倒された木は,まず山の中腹にある中間土場に搬出した。馬が入れれば玉引きで運んだが,馬が入れない急斜面は人力に頼るしかなかった。そのとき使われたのが「つのバチ」である。
これが,つのバチ。長さ九尺(約2.7m),直径30cmの丸太を5,6本まとめて急斜面を100mくらい,この道具を使って下ろしたのだという。前で方向を定める人,後ろから押す人の共同作業であるが,一歩間違えれば丸太の下敷きになる危険な作業であった。
丸太を下ろした後は,こうしてロープで結わえ,
担いでまた急斜面を登っていく。
席を立って良いとは言われていないのに,参加者は総立ちで説明に見入っていた。
参加者も挑戦してみる。
木を移動させるのには,トビといわれる道具を使って,数人がかりで動かした。このとき呼吸を合わせるために唄われたのが木遣りだという。
木遣りは隣町の日高で現在も伝承されている(写真は2008年のひだか樹魂まつり)。
写真は鵡川の流送の様子。これは技術を要する作業で,船頭には越中から専門の職人が来たという。丸太の上に載っている人夫がいるが,赤岩からニニウまでは危険なため,丸太の上に乗ることが禁止されてという。この区間は,現在も道内屈指の激流として川下りをやる人たちには知られている。
当時,占冠に2万石単位の土場が5つくらいあり,丸太を流し終わるのに3月下旬から1か月ほど要したという。お二人も学校帰りにいつも見ていたそうだ。
次は木を伐るところの説明に移った。まず受け口を作り,そこから15cmくらい上のところを逆からノコで伐って倒す。
ノコにも進化があって,右手のノコが「バラノコ」と言われる昭和20年くらいまで使われていたノコ。左手の刃の間に隙間があるノコが「マドノコ」。マドノコはバラノコの2倍くらい作業効率が良いが,目立ての仕方でまた倍半分仕事が違うそうだ。
刃を水平に保って,最後まで引くのが肝要とのこと。途中で引くのを止めたら押しても戻らないそうだ。
ノコで切れ目を入れた後,「サッテ」で斜めから伐り込む。これも下手をすると足を切り落とす危険な作業であった。
まだまだお話を聞いていたいところだったが,ここで時間切れとなった。
木遣りは日高町で,流送はむかわ町で流送まつりとして伝承されている。滝上では山神様のお祭りが残っているという。占冠にはかつての林業を偲ぶ何物も残されていないように思っていたが,今日のお話を聞いて,まだ生きた形で林業が伝承され得ることを知った。こういう文化を何らかの形でさらに伝承していくことはできないものだろうか。
昨日に引き続き,占冠村林業振興室の田畑室長から,農林水産省が2009年12月25日に公表した「森林・林業再生プラン」の説明をいただいた。「森林・林業再生プラン」は国の方針であるが,この中に書かれている項目の1つか2つでも実現に近づけるよう,占冠の民有林の再生に向けて頑張りたいとのことだった。
結局,国有林については,手の出しようがないようであったが,国有林は本来国民の森なのだから,我々一人一人が国有林をどうしていったらよいのかということを考え,草の根から発言をしていくことが大事だと思う。
山脇先生の講演も占冠で5年連続となる。今年は例年と趣向を変えて,講演時間の半分ほどが近自然林業の話に当てられた。
欧州のフォレスター制度は,日本に比べて随分進んでいるのだと伝え聞くが,どうもその実態がよくわからない。山脇先生がいつもおっしゃることだが,林業についても,うまくいっていないのは日本だけでなく,世界中全部がうまくいっていないのではないか。
12時ちょうど,今年の近自然ワークショップ&セミナーinしむかっぷのすべてのプログラムが終了した。
15時50分,旭川駅到着。まだまだ新しいと思っていた旭川ターミナルホテルは,今日をもって営業終了となった。
旅行記終了。読んでいただきありがとうございました。