北海観光節小さな旅行記芦別の北のほう

芦別の北のほう その3

2014年5月18日(日)

芸術の郷しんじょうを出てから1時間ほどで黄金水松公園に到着した。

 

水松というのはイチイ(オンコ)の別名で,推定樹齢は1700年。北海道の天然記念物に指定されている。先住民の時代から崇拝されてきたという名木である。

東屋があったので,早めの昼食とした。

 

深川駅で駅で購入した「盛合せ寿司」。駅弁マーク付きの掛け紙,片手でほどけるひもなど,駅弁としての粋を尽くした助六寿司だった。

 

11時55分,黄金水松公園を発つ。ここから黄金町の中心部を経て,カナディアンワールド公園に向かう。

このあたりは牧場が多い。

見たことのない激しいS字カーブの標識が立つ道を降りていく。

東黄金小学校跡地に残る建物。もとの教員住宅らしい。

 

露天掘りの跡。黄金では1947年に三井鉱山黄金坑として開坑,1972年に坑内火災により閉山した。

石炭は当初,芦別駅まで長大な索道を架設してバケツで運搬されていたという。1966年からは留萌港へのトラック輸送に切り替えられている。芦別線が建設されていたのは,まさににそうしてどんどんトラックに切り替えが進んでいた時期なのだから,どれほど本気で鉄道を通そうとしていたのかはわからない。

南側では新旭炭鉱黄金露天坑として,現在も採掘が行われていた。この道はカナディアンワールドに通じているはずで,あわよくば歩いて行けるかと思っていたが,まったく無理そうである。

「黄金本通」と名の付くこの通り沿いには,映画館や郵便局,駐在所,商店が建ち並んでいたはずだが,何もない。

いまこの地図で,神社付近から,駐在所のあたりまで歩いてみる。

炭住の跡。

このあたりも炭住街だったと思われるが,一度森に還った後,伐採されたのが現在の姿だと思われる。こうなると,人の住んでいた痕跡はどうにも見出しがたい。

まったく町が丸ごと一つ消えてしまったようで,これほど何も残っていないのは炭鉱街いえども珍しいのではないだろうか。

思わず,トラック野郎「一番星北へ帰る」で,桃次郎がダムの底になってしまった故郷について語るシーンを思い出した。

なお,往時の黄金については,芦別物語の黄金のページが詳しい。

さて,次は今日の本来の第一目的地,カナディアンワールド公園に向かう。

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