三箇線の終点,10線22号バス停付近は,小集落をなしていた。以前は学校や農協の店舗,給油所があったようだが,現在は郵便局(東鷹栖十線郵便局)があるのみである。
それでも,バスは上り7本,下り5本と,集落の規模を考えると驚異的な本数を維持している。
少し歩くと柏台神社があった。
柏台中学校の閉校記念碑と鬼斗牛地区道営ほ場整備事業完成記念碑。
神社の境内には地神様と馬頭観音がいくつも集められていた。地域で祀る人がいなくなったのだろうか。
近文第三小学校跡。2005年3月に閉校している。碑によれば学校の名前は「突哨」→「近文第七」→「近文第三」と変わっている。
神社と中学校の名は「柏台」,郵便局は「十線」,ほかに鬼斗牛地区という呼び方もあるようである。それぞれ微妙に意味合いが異なるのかもしれないが,地域の呼び名が一定でないというのは,住んでいる人たちも落ち着かないのではないだろうか。
鬼斗牛山には歩いて向かう。いまバスが渡っている橋が「三箇橋」である。
バス路線は三箇線というが,地図に三箇という地名はない。ここで初めて三箇と名がつくものを見た。実は「さんが」と読むのだ。
さらに歩くと農場の開放記念碑があった。このあたりは三箇元次郎が地主として経営し,三箇農場と呼ばれていたのだという。三箇とは人名に由来していたのだ。
地区会館には「突哨」が使われていた。
田園地帯では珍しい「警笛鳴らせ」の標識。
用水路が巧妙に張り巡らされていた。先ほどの神社にあった碑によれば,昭和40年代後半以降のほ場整備事業により整備されたもののようである。
斜面に「北」の文字が見えるのは,東鷹栖市民スキー場。索道施設などないが,旭川市のホームページに記載があり,一応現役のスキー場のようである。
なぜ「北」なのかは,インターネットで調べても情報が見当たらない。
8線道路の突き当り。
公衆便所はよく整備されていた。男子用小便器は,コンクリートのU字溝を組み合わせた見たことのないつくりだった。
現在いるのが第一登山口。尾根道を経て,7線突き当りの第二登山口まで回遊することができるようである。
まずはスキー場の斜面を登る。「北」の字の部分には,石が敷き詰められ,岩場の花畑のようになっていた。
振り返ると,怖いくらいの眺望が開けていた。
スキー場を過ぎると,藪の中に入り,進むのに難儀した。本来の散策道を見つけられなかったようだ。
しかし,一旦尾根に出れば,快適な散策路となり,迷う心配もなかった。
花はかなり咲いている。
ところによっては花畑の中のような散策道を行く。