12月28日,初めて迎えた仕事納め。今年一年いろいろあったなあ・・・と振り返る間もなく仕事に大掃除にと時間が過ぎていったが,何とか無事に仕事を終え,みな今年1年本当にお世話になりましたと挨拶を交わして職場を去った。帰り際,みかんを3つもらった。
それから駅に直行して18時36分の汽車で札幌に帰省する人も多かったが,わたしはまず一晩休んで,ゆっくりと旅に出ようと思う。
12月29日
朝起きてから荷物をまとめ10時20分のバスで家を出る。
雲ひとつない青空に映える釧路駅。冬の釧路はいつもこうだ。
11時16分発のスーパーおおぞら6号は10両編成。
スーパーおおぞらは通常6両編成だが,年末年始は最大限に増結されている。10連ともなれば車掌とツインクルレディが2人ずつ,それに鉄道警察隊も乗務するという豪華版だ。いつもは虫の死骸だらけの前面ガラスもぴかぴかに磨かれておりJR北海道の気合を感じる。年末の上り列車は帰省の向きと逆のはずだが,いつになく釧路駅は賑わっていた。
いつも乗っているので感じないが,スーパーおおぞらは全国屈指の豪華列車であり,このような立派な列車で旅に立てることを幸せに思わなければならない。
それにしても高い。この時期はYOUNG GO GOもRきっぷも何も使えないので正規料金で苫小牧まで買うとぴったり9000円かかる。
かばんには昨日もらったみかんを入れてきた。旅といえばみかんである。今まで列車で隣や向かいに座った人からいくつみかんをもらったかわからない。恩返しに隣に誰か座ったらみかんをあげようと思ったが,誰も来ないうちに一人で3つとも食べてしまった。
15時13分苫小牧着。
16時25分フェリーターミナル行きのバスに乗る。バスはかなり遅れていた。
フェリーターミナルは驚くほど混んでいた。
全国最大級の苫小牧フェリーターミナル。
フェリーの夕食は高いのでフェリーターミナルの食堂に入った。食堂もいつになく混んでおり,ウエイトレスの悲痛な表情が印象深い。てんてこ舞いなので席に座っても注文聞きがなかなか来ず,5分待って来なかったら出ようと思ったが,ぎりぎりのところで注文を聞きにきた。こんなことならコンビニ弁当にしたほうが良かった。
3月の卒業旅行で乗ることのできなかった因縁の仙台行フェリー「きたかみ」。その屈辱を晴らす日が意外に早くやってきた。
17時30分乗船開始。
函館−青森のフェリーは単なる雑魚寝。苫小牧−八戸便は有料で毛布の貸し出しがある。それが仙台便になると全員マットと毛布付きになって寝る位置も指定される。同じ2等船室いえども距離が長くなるにつれて格が上がるようだ。
2等客室といえばいつもがら空きで,100畳敷きの部屋に1人か2人ということも珍しくないが,今日は見事に満員だ。一人当たりの幅を計ってみると約60cm。往年の快速ミッドナイトのカーペットカーでも70cmあったから極限の幅だ。しかしこれぐらい混んでいたほうが,フェリー会社も儲かっているのだろうという感じがして,むしろ安心する。
使用前 | 使用後 |
19時00分出航。
まだ寝るには早いので,ロビーで時刻表とガイドブックを見ながら明日の予定を立てる。定員いっぱいに乗船しているにもかかわらず空間的にはゆとりがある。さすが船だ。
船内の雰囲気はなんと表現したらいいだろうか,ディズニーランドとか上野動物園とか,そういう「メジャー」な雰囲気である。わたしが今まで乗ったフェリーというのは,函館−青森,苫小牧・室蘭−八戸,新潟−秋田,今治−大分など路線自体マイナーで,それも深夜便だから,乗船する面々もなんとなく世間からそれたようなうらぶれた雰囲気があった。今日の雰囲気はそれとは明らかに異なる。
考えてみれば,100万都市の札幌と仙台を結ぶ航路である。都会の人が都会に帰省するためのメジャーなルートであるはずだ。「きたかみ」は国内最大級の豪華客船だとのこと。さもありなん,ピアノや歌のショーまでやっていた。
22時00分消灯。
私は早く寝たいほうだが,消灯になるまではやはり寝づらい。意外と早く電気が消され,朝までゆっくり寝られそうだ。
頭をつき合わせて向かい側には男女の連れが仲良く話をしていた。恐らく帯広畜産大学の修士2年生で,歳は私の一つ下らしい。卒業を控えて,彼氏の実家に彼女も一緒に行くようだ。仙台ではどこを見ようか,家についたら家族には何と言おうか,とか楽しそうに話している。彼の名前は私と同じらしく,○○さん,○○さんと,耳元でささやかれるのは他人の彼女とはいえ心地よく,ああなぜ私は1人なのだろうかと不意に寂しい気持ちが胸をよぎったりした。
しかし電気が消えてもなかなか話がやまない。隣では子どもを「シーッ,シッ」としきりに黙らしている親子連れがいるというのに,男と女はけっこうな音量で話し続けている。大学行くような頭があっても人の迷惑を考えられない人が結構いる。わたしがその男だったら「うるさい,もう寝ろ!」と彼女に一喝するだろう。ああ,やっぱりだめだ。
6時54分,日の出。早めに起きて風呂から出るとちょうど日が昇るところだった。放送で日の出は6時52分という案内があったが,雲があった分少し遅れたようだ。水平線からの日の出とはならなかったが,元旦もこの程度望めればよいのだが。
太陽の反対側には金華山が見えていた。
明治30年3月17日「伊勢新聞」
○北海道移住民 安濃郡百三十九名,一志郡八十九名,河芸郡五十九名,鈴鹿郡八十九名,度会郡七名,三重郡七名,志摩郡二十一名,合計四百十一名は来二十六日四日市発汽船にて小樽港へ向け出発すべし。尤も小樽より空知迄汽車にて達し,空知郡フラヌイの原野へ移住の筈なり。
富良野原野への最初の移住民である三重団体の出発を伝える記事である。この「一志郡八十九名」の中に私の高祖父,高祖母,曽祖父も含まれていたと思われる。
一行が乗った船はこの金華山沖で大時化に遭い,死者を出している。死ぬほどの船揺れとはどれほどすさまじいものか,今では想像もできない。昨晩も「しけ模様のため揺れます」とアナウンスがあったが,じっとしていればかすかに揺れているのがわかるという程度の揺れである。船も進歩したものだ。
7時から朝食。バイキング形式で下手なホテルの朝食よりずっといい。フェリーのレストランは開店休業状態のところしか見たことがなかったが,さすがに賑わっていて,ピークの時間帯には何人かお客を断っていた。
9時20分。仙台港到着。暖かい。こんなまともな時間に着くフェリーに乗ったのは初めてだ。
車を運転するお父さんを待つ家族たち。よいお正月を!