今日は大学時代の同期,れんがもちさんと羊蹄山周辺をドライブする予定だ。れんがもちさんは,いま京極で働いている。
わたしはこの近辺をまったく知らない。せいぜい函館本線の駅で降りて駅周辺をちょっと歩いたことがあるくらいだ。京極に至っては通過したことさえもない。
積丹半島から,ニセコ,羊蹄山麓,支笏湖にかけての一帯は,およそ札幌の人しか行かないようなところである。だからわたしはこの地域が嫌いである。ホームページでも後志支庁の市町村は抹消してしまいたいぐらいに思っているが,それでは「大全」にならないから仕方なしに最小限のことだけ書いて載せているに過ぎない。
大学生の頃,みんな免許を取り出して,ドライブに行くといえば馬鹿の一つ覚えのようにしてこの方面に向かった。なぜ札幌の人はこっちばかり来て,桂沢とか夕張に行かないのか。札幌の人がこっちに来たがるのは勝手だが,道外出身の学生までもが札幌の人の影響を受けてこっちにばかり来るのが気に入らなかった。
しかし,この地域に住んでいる人たちに罪はない。札幌を離れて2年近く経ち,札幌人への嫉妬心も和らぎつつあるいま,実際この地域に住んでいるれんがもちさんに案内してもらいながら,あらためてじっくりと見て歩こうと思う。
キハ183-5000ニセコエクスプレスが地元で本来の特急としての役目を果たす区間である。この指定券を取ったとき,駅員さんは私が何も言わないのに「これ展望席ですよ〜」「ここはガーっと坂を登っていくところなんでおすすめですよ〜」と1号車1番A席を取ってくれた。その後駅員さんは3号車が先頭車になることに気づき,指定席を取り直してくれようとしたのだが,私は最後尾でも展望席なら良いと思ってそのまま購入した。しかしよく考えてみると,ニセコエクスプレスはハイデッカーではないため,前面展望はあまりよくないはずである。しかも,A席は運転台の真後ろでまったく前が見えない席だった。なお喫煙席を取っているが,喫煙車のほうが空いていたので喫煙席を取っただけであって,私はタバコを吸わない。 |
朝食は「おたるかにめし」
9時43分倶知安駅到着。列車から多数のスキー客が降り,バスでスキー場へと向かって行った。
倶知安駅ではれんがもちさんが出迎えてくれた。
さっそく車の助手席に乗せてもらって出発。今日の目的の一つは,北海道屈指の豪雪地帯に,いちばん雪の多い時期に訪れるということだった。しかし倶知安市街には雪がない。除雪,排雪が行き届き,主な道路には流雪溝が整備されているからだ。
北海道後志支庁。支庁というのは道外の人にはなじみがないと思うが,広大な面積を管轄するために道庁の出先機関として置かれている行政庁で,全部で14の支庁がある。後志支庁は15万都市の小樽市を含むにもかかわらず,内陸の倶知安に置かれている。各町村から支庁までの距離を考慮してのことだろう。
しかし,小樽は別格として後志の中心が倶知安にあるかというとそうでもなくて,店などは岩内のほうが充実しており,倶知安の人が岩内に買物に行ったり岩内の高校に通ったりというケースもあるらしい。たしかに倶知安の人口は2002年末現在で16216人,岩内は17030人で岩内のほうが若干多い。岩内ももう16年も行ってないが興味深い町である。
倶知安市街では各町内会が作った雪だるまが見られる。
オーストリアのレルヒ中佐は日本に初めてスキーを伝えた人。昭和61年のスキー国体を記念して造成された公園である。
わたしはニセコのスキー場もまったく来たことがない。ニセコにはいくつものスキー場があるので,その雰囲気だけでも見ておきたい。
ニセコのスキー場は東洋のサンモリッツといわれる標高1308.2mのニセコアンヌプリ山頂を中心に,ニセコひらふ,ニセコ東山,ニセコアンヌプリの3つのゲレンデがあり,さらにその周辺にはニセコワイス,ニセコモイワというスキー場がある。
東急系のニセコひらふスキー場はこれらの中でも最大のスキー場で,標高差940m,最長滑走距離5600mを誇る。一連のスキー場の中では最も早くから開発され,昭和36年12月にはニセコで最初のリフトが設置されている。(なお現在の形のスキーリフトの創始は昭和27年の小樽天狗山である。またニセコと並んで北海道のスキー場の双璧である富良野スキー場には昭和34年に設置されている。)
道道343号蘭越ニセコ倶知安線に入る。正面の山がニセコひらふスキー場。
道道沿い泉郷(いずみきょう)のペンション街。建売ログハウスの別荘がたくさんある。
樺山方面を見る |
スキー場方面を見る |
セイコーマート・ニセコひらふ店
ニセコひらふスキー場より南東を見下ろす。晴れていれば羊蹄山絶景のはずである。
ニセコひらふ地区のペンション街。この地区には100以上のペンションが建ち,各所に温泉も湧く。わたしはどういう人たちがこれらのペンションに泊まるのか不思議だった。だいたい旅行というのは一部のマニアックな人を除いて宿は旅行会社にお任せしてしまうものだと思っていたが,れんがもちさんによれば,みんな自分で調べてペンションに予約を取るのだそうである。ペンションにも良し悪しがあるだろうし,100もある中から選ぶのは迷ってしまいそうだが,じゃらんなどの情報誌でみんなよく勉強しているそうである。また,札幌から来る人が多いのだろう思っていたが,ここに泊まるのは道外の人も多いそうである。客層としては比較的年齢が高めの落ち着いた都会風の人たちが多いようである。ペンション街にも上品さがあり,夜は座敷でチャンチキおけさという雰囲気ではない。トラベル,ツアー,ツーリズムというよりはバカンス,リゾートという言葉が似合いそうな場所だった。
ペンションのデザインはばらばらである。だいたいこういうペンションは俗世間がいやになった人たちが好き勝手なことをやりたくて始めるのだろうから,周囲との調和を期待するほうが無理である。しかし,それぞれの建物がそれなりによくデザインされているので,新興住宅街の安っぽい一戸建て住宅群に比べれば全体的に高級感が感じられる。
ひらふスキー場を離れ,道道343号をさらに南へ進む。
倶知安西小 樺山分校
へき地2級,児童13人,教員6人 (平成14年度のデータ,以下同じ)
「EastSide006」で知った現役の木造校舎である。昭和9年築。これはすごい。半紙版の窓ガラスもそのまま。児童数は13人で小規模校にしては多く,活気が感じられる。