五木ではすぐにバスが折り返す予定だったが,途中のバス停の早着防止のため発車を遅らせるとのことで,15分間の猶予を得た。人吉で出だしから遅れていたのもそういう理由だったのだ。
五木村の中心部は頭地(とうじ)といい,集落がまるごと高台の造成地に移転している。
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公共施設はどれも立派である。
代替地の北側は住宅街になっており,これ以上ないというぐらいに贅を尽くした造りになっていた。
東海林太郎の歌唱で昭和12年にヒットした「湖底の故郷」という歌がある。これは奥多摩の小河内ダムに沈んだ600世帯,3000名の住民に捧げられた歌で,当時全国的に共感を呼んだというが,そのころからいままでにどれだけたくさんの美しい村がダムに沈んだであろうか。
ダムによる水力発電が日本の成長と我々の豊かな暮らしの基礎を築いたことや,ダムによって水害がなくなり下流に大都市が拓けたこと,また安定した農作物の生産が確保できるようになったのは確かなことである。戦前から高度経済成長期にかけてはダムを造らなければならないやむにやまれぬ事情があったのだろう。
しかし,いままでダムがなく,ダムの建設に反対している住民がたくさんいるところに,これからダムを造る意義はあるのだろうか。
豪邸に住んでいる人たちは,この先何を生業にして暮らしていくのだろう。子守唄の精神は果たしてこの村にまだ息づいているのだろうかと思うと,少し寂しくなった。
帰りの便もまたほかに乗客がなかった。途中の「巡り」というバス停から2人乗ってきたが,人吉に着いたときにはまた1人に戻っていた。
もし,わたしがバスに乗らなかったとしたら,このバスは大半を乗客のいないまま走ることになっただろう。運転手さんからいろいろな話を聞くことができたし,思いがけず五木で散策の時間をとることもできた。やっぱりレンタカーに手を出さなくて本当に良かったと思った。