上毛電鉄に続き,わたらせ渓谷鉄道も初めての乗車である。
乗客はまばらだったが,車掌のほかにアテンダントが2名も乗車しており驚いた。
アテンダントはやや年輩の女性と,ボーイッシュな女性のペアだった。ボーイッシュなのは良いとしても,佐良直美や水前寺清子をはるかに通り越しており,ちょっと度が過ぎているのではないかと気になった。
鉄道グッズを売りに来たとき,声も男性風だったので驚いた。アテンダントはみんな女性だと思い込んでいたのが間違いだったようである。あまり惹かれるグッズはなかったが,せっかくなので,機関車のしおりを買っておいた。
車内放送はテープを使用しており,その声の調子が耳障りなのは良くなかった。
大正元年の開業当時に建てられた上神梅駅舎。
構内に温泉がある駅として有名な水沼駅。
列車を利用したレストランがある神戸駅。
わたらせ渓谷鐵道はJR足尾線を引き継いだ第三セクターの路線である。駅舎やホームは国鉄時代の雰囲気を色濃く残し,時代を30年くらい遡ったような風景に出会うことができた。
沢入〜原向間の渡良瀬渓谷は,線内で車窓が最も美しい区間と言われているが,ダムの取水で川にはほとんど水が流れておらず,哀れな景色だった。
日光市の南端にある原向駅で下車。
水道は凍結防止のため,ちょろちょろと水が出しっぱなしになっていた。北海道だとこの方法は使えない。
今日は足尾でしばらく時間をとり,かつて銅山で栄えた町を歩いてみようと思う。
足尾銅山といえば,我々の世代だと,小学校6年の国語の教科書で読んだ,田中正造の伝記で印象に残っている。
足尾も一般的な観光ガイドブックでは詳しく触れられておらず,見どころがよくわからなかった。ただ,最盛期の人口38000人(大正5年)に対し,現在の人口が約3000人と,北海道の炭鉱町に比べると人口の減り方が穏やかなので,鉱山があったころの町の雰囲気がまだ残っているのではないかと期待した。
駅を出るといきなり正面に現れたコンクリートの擁壁は,原堆積場である。銅を採取した残骸の捨て場所で,足尾に十数か所ある堆積場の中でも,最大規模のものである。
登録有形文化財の,わたらせ渓谷鉄道第2渡良瀬川橋梁。大正元年の架橋で,鉄骨は明治時代のものである。
足尾銅山生協「三養会」の中才売店。COSMOS社の自動販売機が現役で使われていた。
中才浄水場。明治30年に政府が出した鉱毒予防工事命令に従い新設された,鉱業廃水の濾過・沈殿施設。
中才の長屋住宅。旧選鉱所に隣接しており,鉱夫たちが住んでいたものと思われる。
住宅街は数棟ごとに,レンガの防火壁で区画されていた。
通洞選鉱所跡。かつて東洋一と言われた選鉱場で,500人以上が働いていたという。昭和48年の銅山閉山とともに操業中止。ただ現在も管理はされているようである。
写真左は現役の通洞変電所。写真右のレンガの建物は通洞動力所。奥のコンクリートの建物は新梨子油力発電所で,大正4年に建設され,昭和29年まで使用されていた。