今晩は檜枝岐村に泊まることにしている。たまたま,日光から新潟のあたりで宿泊地を当たっていたときに,檜枝岐に良さそうな宿があり,バスの便も比較的良かったからである。
バスは会津高原尾瀬口駅を出ると,そろばん状になった圧雪路をガタガタと進んだ。途中,高杖スキー場に立ち寄った。スノーボードを背負った少年が,このバスは会津高原尾瀬口駅に行くかと尋ねてきたが,運転手さんはもうバスはないのでハイヤーを頼むようにとアドバイスしていた。ハイヤーだといくらかかるだろうか。
バスは途中何か所かで国道をそれて,旧道の集落を通った。
1時間ほどで,内川のT字路に差し掛かった。
檜枝岐へは,ここからさらに十数キロ山奥へ入る。途中,会津高原高畑スキー場,小豆温泉があり結構賑わっていた。
森の温泉館アルザ前で下車。日本有数の豪雪地帯で,そもそもたどり着けるのか心配だったが,無事到着できて良かった。
本日の宿,民宿おぜぐち。18時過ぎのチェックインとは私としては異例の早さだが,バスもこれ以上遅い便がないことだし,宿で食事をして,少し村を歩いてみようと思う。
民宿に泊まるのは昭和63年5月以来,22年ぶりになる。民宿といっても旅館と変わらず,とてもきれいな宿だった。
食事の準備ができましたと電話があり,食堂に向かった。
舞茸御飯,イワナの塩焼き,イワナのひらき,山うど,ふろふき大根など,地元の素材を使った料理が並び,素晴らしいものだった。
食堂では8人の宿泊客が飯台に向かい合わせで並んでおり,私だけ1人背を向けた形で,部屋の隅に小さな飯台が用意されていた。私に何らかの事情があるものと察して,席を別にしてくれたのかもしれない。
背を向けて座っていたので,ほかの宿泊客の姿は食堂に入るときと出るときの一瞬しか見ていないが,話を聞いていると,6人は家族連れ,あとの2人は中年の男性と,初老の女性で,それぞれ一人旅だと思われた。
この時期,何を目的に檜枝岐を訪れたのかはわからなかったが,一人旅の男性は20代前半の一時期この地に住んだことがあるといい,ぼくとつと思い出を語っていたのが印象的だった。
写真左は「はっとう」というそば粉で作った餅。右は裁ちそば。
いずれも檜枝岐でしか食べられない郷土料理で,特に「はっとう」は昔の人のご馳走だったのだと,一人旅の男性が話していた。
宿の風呂も温泉だが,市街には公共の入浴施設が2つあるので,せっかくだから散策がてら歩いて行ってみることにした。
村の入口には,まるで神社のような荘厳な森があった。この村はすごい。
檜枝岐村は人口700人足らず。国内屈指の山奥にある山村である。
5分ほど歩いたところで,宿のご主人が車で追いかけてきてくれた。温泉まで送ってくれるとのことだったが,せっかくなので村を歩いてみたいのだと,申し訳ないが丁寧にお断りをした。
日本百名山・会津駒ヶ岳の登山口。
東北電力檜枝岐発電所。発電開始が大正11年10月,最大出力が60kWとあった。この村は大正11年に電化されたということだろうが,最大出力が60kWというのはあまりにも小さい。常時出力は18kWだという。これでは住宅数軒分の電力しか供給できない。何のためにこの発電所が今まで残されてきたのだろうか。
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東雲館(公民館) | 檜枝岐小学校 | JAストアー |
この村には平地がほとんどなく,建物を建てる場所がないので,施設関係は垂直方向に背を伸ばしていた。
それと驚いたのが,村の目抜き通りにお墓が並んでいたことだ。こういう村は初めてだ。
お墓の一角にあった六地蔵。貧しかった時代,間引きした幼い子供たちの霊を弔ったものだという。
20分ほど歩いて駒の湯に到着。単純温泉がかけ流しになっており,とても気持ちが良かった。
元気の良い若者のグループと一緒になったが,我々が退館すると,閉館時刻を前にだれも入浴客はいなくなった。
檜枝岐は尾瀬の玄関口,また檜枝岐歌舞伎で知られている。しかし,何もないこの時期の檜枝岐も良いものだと思った。バスで長い時間かけて檜枝岐に来て,本当に良かったと思った。