北海観光節旅行記東日本縦断旅行

朝の檜枝岐

2010年12月31日(金)

本日の朝食。日光を出ると店がないことは予想できたが,東武日光駅で調達することができたのが,カロリーメイトと賞味期限が2か月もある菓子パンだけだったのだ。

6時に宿を発つ。この宿では,釣り人など朝の出発が早い人向けに,「1泊夕食付き」というプランがあったので,早朝の出発は問題ないと思っていたが,いちおう支払いは昨日のうちに済ませておいた。

帳場ではご主人が起きて待っていてくれた。カウンターにはさりげなくバスの時刻表が広げて置いてあった。

いままで泊まった宿で,こんな粋なもてなしを受けたことはない。「今日はこれからどちらへ」と問われ,いつもだったら面倒なので適当に答えるところ,「バスで湯ノ花温泉まで行って,前沢まで戻って,それから会津若松のほうへ」と少し詳しく伝えておいた。

気温−9℃。風もなく静かな朝だ。

檜枝岐にはアルザ尾瀬の郷,燧の湯(ひうちのゆ),駒の湯という3つの共同浴場がある。昨日は駒の湯に入ったので,今日は燧の湯に行ってみる。

 

村の市街地は板倉集落とも呼ばれる。檜枝岐には壁土がないため,昔から倉も家も板だけで作ったからだという。写真の倉は,最も古い様式でセイロウ造りと呼ばれるもので,釘などの金具を使わず,厚い板だけで組み上げている。

村の目抜き通りには民宿が建ち並んでいた。

檜枝岐口留御番所。檜枝岐は漆ロウソクをつくるロウの主産地であり,また豊富な材木の生産地でもあったため,幕府の直轄地であり,出先として番所が設けられていたのだという。

やはり,これだけの山奥に人が住むのには,それなりの理由があったわけだ。見方を変えれば,車道は通じていないものの尾瀬を越えると群馬県の沼田に出ることができ,会津地方の中では最も関東に近い土地だということもできる。

歌舞伎通り。

 

橋場のバンバ。悪縁を切りたいときは切れるハサミを供え,良縁で切りたくないときは錆びたハサミを供えれば,ご利益があるという。いわれのとおり,たくさんのハサミが供えられていた。

村民の姓は,ほぼ「星」「平野」「橘」の3つで占められるという。そういう一地域全員親戚という土地に,このような神様が誕生したところに,何か非常に深いものを感じる。

鎮守神社。駒形大明神,燧大権現,それぞれ会津駒ヶ岳,燧ヶ岳山頂に鎮座する神様を祀っている。

檜枝岐の舞台。舞台自体が国の重要有形文化財に指定されている。檜枝岐歌舞伎は伊勢神宮参拝の折り,江戸で歌舞伎を観劇し,見よう見まねで村に伝えたのが始まりといわれている。

 

宿から寄り道をしながら40分ほどで燧の湯に着いた。「燧」(ひうち)は日本百名山・燧ヶ岳に由来すると思われる。12月30日から1月3日までは,午前6時から営業とのことで,私のような旅人には大変ありがたい。

「源泉かけ流し風呂」ということで,日本温泉遺産を守る会から認定を受けている。ここは硫黄泉でほのかな硫黄臭がし,昨日の駒の湯にも増して,素晴らしい温泉だった。

小学生が書いた壁新聞とポスター。檜枝岐村の人口は700人足らずであるが,過去に人口1000人を超えたことはなく,比較的安定した推移を示している。村を歩いていても,過疎の村というよりは,村自体が聖地であるような桃源郷的豊かさを感じた。もちろん,昔から大変な苦労をしてきたのだろうが,それでも人が住み続けているだけの理由がある気がする。

村の観光パンフレットによると,市街地に温泉民宿が32軒,温泉旅館が5軒ある。ほとんどが個人経営であり,尾瀬の玄関口という立地にありながら,大手の業者が進出していないのは奇跡的である。

檜枝岐ますや前7:15発→湯ノ花清滝前08:04着 会津乗合自動車 田島駅前行き

運転手さんは昨日来たときと同じだった。バスは私のみを乗せて,檜枝岐を発った。

国の重要有形民俗文化財「大桃の舞台」で知られる旧伊南村大桃集落。ここにも民宿が何軒かあった。どんな人が泊まるのだろうか。

内川の分岐で時間調整。檜枝岐から道路に沿って流れていた伊奈川は,ここで舘岩川を合流し,さらに約50キロメートル先で只見川に合流する。従って,この地域と只見とは文化的なつながりがあるようで,かつてはJR只見線の只見駅へもバスが通じていた。町村合併によって,伊南村も舘岩村も会津田島の田島町と合併して南会津町となり,地理的な関係がわからなくなってしまったのは惜しまれる。

秘湯・木賊温泉(とくさおんせん)への分岐。1位置1往復だけ会津乗合自動車のバスが温泉街まで乗り入れている。

町村合併で消滅した旧舘岩村の中心・松戸原集落。バスはここで南に折れ,湯ノ花温泉に立ち寄る。

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