鶴岡では時間をもてあますのではないかと思っていたが,結局,駅に着いたのは日本海の出発時刻ぎりぎりになった。
下りの日本海は約20分遅れで到着した。こんな夜中でも下車する人が何人かいた。
秋田までは2時間あまり。それでも寝台料金がかかるのはやむを得ない。既にそれぞれの寝台はカーテンが閉ざされ,どんな人が乗っているのかはわからなかったが,年越しの夜に夜行列車に乗るなど,何らかの事情を抱えている人たちに違いない。
遅れは回復することなく,秋田に5時59分到着。乗り継ぐ予定だった5時52分発の新庄行きは既に発車しており,後続のこまち号に乗った。
まずは車販から駅弁を買って朝食とした。車販さんにとっても,私が新年最初の客だったはず。あけましておめでとうございます。
日本海側の地方は冬に晴れることがめったになく,初日の出を拝むという文化自体がないという。しかし,今日は東の山際だけ雲が切れていた。これは,いままでの経験からいって,間違いなく初日の出が見られそうである。
見晴らしの良さそうな川の堤防まで歩いて向かった。カメラを持った少年が現れて,同志がいたかと心強く思ったが,少年は日が出る前に去っていった。
7時20分,お天道様がほわっと姿を現した。その下を奥羽本線の列車が過ぎていく。一人だけで拝む贅沢な初日の出だった。
新しい北東北フリーきっぷは運賃部分しか有効でないので,特定特急券(立席)を別に買って乗車する。
次はいよいよ新玉川温泉である。新玉川温泉も昨年の旅行で断念したところだ。
国道341号は玉川ダムから先が冬期間通行止め。ただし路線バスは通行が許可されている。
ゲートが開けられた。
1車線分だけ除雪された国道を行く。
新玉川温泉到着。
本家の玉川温泉へは雪上車が結んでいる。乗車できるのは宿泊者のみ。
新玉川温泉名物の大雪だるまと氷像。
フロントは元旦から忙しそうだった。日帰り入浴が可能なのかどうか,ホームページでは判然としなかったが,難なく入浴券を購入して入館することができた。
さっそく湯殿へ向かう。廊下ですれ違う旅館の人たちは「こんにちは」と声をかけてくれた。
玉川温泉自体は2003年の8月以来の入浴である。いくつかの意味で日本一の温泉であることは誰もが認めるだろう。1度入れば,1年間は元気でいられるような強烈なお湯である。今日は湯浴み客も少なく,pH1.2という体ごと溶けてしまいそうなお湯に心ゆくまで浸かることができた。
湯治で長期滞在する人も多いため,売店にはひととおりの日用品が揃っている。
小腹も空いてきたが,食堂はまだ営業していなかったので,みそパンをかじった。
10時40分,田沢湖からの第2便の羽後交通バスが到着した。バスに続いて日通の運送車,旅館のマイクロバスも入ってきて,今日の朝刊が届けられた。
宿を発つ人たち。新玉川温泉は和洋209室570名収容という大きな温泉旅館だが,バスに乗る人は意外と少なかった。冬は部屋の数を絞っているのだろうか。
バスが出発するときには,旅館の人だけでなく,湯治客も玄関の前で見送ってくれた。湯治客同士,仲良くなった人もいるのだろう。湯治客の中には末期癌患者も多いはず。それだけに別れのシーンは印象的だった。
冬期間,玉川温泉へは1日4往復しているこのバスが唯一の交通手段となる。それゆえ,バスの出発はまるで離島の船出のようだった。よく「陸の孤島」と言うが,陸の孤島がどんなことを意味するのか,このとき初めて実感として理解することができたように思う。