もうこれで十分と思っていたところで,トンネルがもう1本あって驚いた。LED電球70万球を使用した100mの光のトンネル「河津桜」である。
ベゴニアガーデンという大きな温室があったので,さらに1000円を払って入館した。
温室の中は,主に球根系のベゴニアが満開で,これでもかというくらいに咲き乱れていた。
人工の物で夢の世界を実現しようとしたのがイルミネーションだとすれば,自然の力を使って夢の世界を作ろうしたのがベゴニアガーデンだと言えるだろう。たしかに夢の世界だと思った。しかし寝ている間に見る夢とは違って,一歩外に出れば現実に引き戻されるとわかっているだけに,痛烈なはかなさを感じた。
出口に近い鏡池。
お土産屋。ここはたいしたものがなかった。
なばなの里は,いちおうひととおり見ることができたと思ったので,予定のバスを1本早めて駅に戻ることにした。
近鉄長島駅とJR関西本線の長島駅はすぐ近くにあるが,ほとんどの人は近鉄を利用しているようだった。
昨年の9月,建築学会で来て以来の名古屋へ。
予定を早めた結果,名古屋駅では40分の余裕が生まれた。どこか店に入って食事をと思ったが,どの店も満員だった。ここはおとなしく駅弁を買って待合室で食べることにした。
この移動時間は,予定どおりカメラの電池の充電にあてた。
品川駅到着。元旦も夜が更けて,さすがに人が少ない。
品川駅から5分ほど歩いて品川バスターミナルに着いた。意外にも,どこかの田舎町のバスターミナルのようなひっそりした雰囲気だった。
明日は宮古に行く。昨年の元旦は陸前高田で迎えたのだが,あのときはまだ交通機関がガタガタだった。昨年4月に三陸鉄道北リアス線は小本〜田野畑間を残して運転再開,八戸線も3月に全面復旧している。
あれほど入れ込んでいた宮古である。行く手段がある程度復旧したならば,行かないわけにはいかないと思った。
ビーム1は宮古行きの夜行バスとして1989年に運行を開始している。震災後は,山田線の海沿いの区間が不通になっていることに配慮して,山田町まで運行区間を延長している。
夜行列車に比べて夜行バスは旅情に乏しいが,楽しみがあるとすれば,夜行バスは観光客が少なく地元の人が多数を占めているため,その町の雰囲気を感じ取ることができることである。
ビーム1に乗るのは初めてである。ああ,これが宮古なのかと思った。それは,以前乗った盛岡行きの夜行バスとはまったく異なるものであった。
2台運行のバスは浜松町にも立ち寄り,満席となって東北道を北上した。途中,どこかはわからないが,23時30分と4時30分にサービスエリアに停車し,乗客も降りることができるとの案内があった。
2013年1月2日(水)
雪が激しく降っていたが定刻よりやや早く,5時08分,盛岡南に到着。
今日は宮古に行くのだが,バスはここで下車して見送った。
下車したのは5人だった。盛岡終着の夜行バスよりも1時間ほど早く到着するので,いくらかの需要があるのだろう。
盛岡南は岩手県北バスの営業所で,待合室というより,いかにも事務所という雰囲気の建物で接続バスを待った。
ビーム1の到着に合わせて,盛岡駅までのアクセス便が運行されている。ずいぶん丁寧なサービスだと少々不思議に思っていたが,106急行の回送便を活用しているのであった。
したがって,このバスにそのまま乗っていれば宮古に連れて行ってくれるのだが,やはり1本見送ることにして,盛岡駅で降りた。
盛岡駅前にはいまどき珍しくなりつつある24時間営業のサウナがある。サウナといっても,要は公衆浴場である。ここでまずは体をきれいにすることにした。
6時30分,NHK第一ラジオでラジオ体操の始まる時間である。駅前ではラジオを片手に持って耳に当てながら体操をしているまじめそうな青年がいた。しかし,片手がふさがれているので,かえって体のバランスを崩すのではないかと思われた。
そしていよいよ宮古行きのバスに乗る。
駅の売店では,まだ新聞の元日号を売っていた。このところ4年続けて岩手日報の元日号を買っている。今年の1面記事は,復興のシンボルとして位置付けた2016年国体について,秋と冬を合わせた完全国体を目指すというものだった。
昭和30年代の雰囲気を残す盛岡バスセンターは健在。