八戸線は2012年3月17日に全線が復旧している。「リゾートうみねこ」は,2011年の青森デスティネーションキャンペーンにあわせ,八戸駅〜宮古駅を結ぶ予定だったが,現在は八戸線内のみを運行している。
座席は2列+1列の配置で,海側の1列座席は45°回転させて進行方向斜め前方を向くことができる。
有家浜付近では正月からサーフィンをしている人たちがいた。
リゾート列車ではあるが,車内案内はなく,怠惰な時間が流れた。活気のないリゾート列車というのは,普通列車よりかえって哀れである。
久慈駅では新青森駅までのきっぷしか買えなかったので,車掌さんに青森駅までの乗車変更を申し出たが,「自分は八戸線の車掌なのでできない」と言われて断られた。そういう規則があっただろうか。
盛岡で買った岩手日報を広げてみる。全線不通が続いている三陸鉄道の南リアス線は,今年4月に盛〜吉浜間が再開,来年2014年4月には三陸鉄道全線で運転を再開する予定だという。一昨年の元旦号で一面を飾っていたILC誘致は,その後大きな進展はないようだが,実現すれば大きな経済効果があるようで,今年も期待を込めた記事が掲載されていた。
階上駅から青森県に入る。いかにも青森という雪景色になってきた。
対向列車の待ち合わせ案内もなく,まったく静かな車内だった。しかし終点も近い鮫駅の手前に至って,初めての車内放送があり,「蕪島神社でお守りを買い求めてはいかが」とのことであった。
あとは帰るだけのはず。
青森空港に行くには青森駅まで行かないとならない。たしかに,新幹線から青森空港へという移動パターンはあまりないだろう。
青森駅では30分弱の待ち時間があった。駅の北側で開催中の「あおもり灯りと紙のページェント」の案内が出ていたので行ってみた。
今年で3回目だというが,普通のイルミネーションとは違って,温かみを感じるものだった。
これも知らないうちに,A-FACTRY という大きな物産館ができていた。県内の物産が感動するほどに充実していた。
さらにその隣にはワ・ラッセという文化観光交流施設ができていた。
本来であれば,最後まで鉄路での移動を貫きたいところだが,空路利用によって三陸鉄道経由が可能になったのだからやむを得ない。
しばらくは青森の市街地を走る。青森の夜は,どこか異国のようであり,本州の北端に30万人もの都市が存在しているということ自体,不思議にすら感じる。
花畑牧場は売り場がだいぶん小さくなってしまったが,残っていた。
レストランは3軒あったが,どこも不景気そうだった。新幹線の開業によって,空港のほうはお客さんか減っているのだろう。
「和食処ひば」にて,野菜うどんをいただいた。
搭乗待合室のテレビでは,NHKの新春女子会コンサートをやっていた。一昔前なら晴れ着姿の女性たちが正月のテレビを彩ってくれたものだが,今や晴れ着で頑張っているのは,司会のはるな愛だけという寂しさ。それを言ったら紋付き袴の男だって絶滅してしまったではないかと言われるかもしれないが,美しい日本の正月が懐かしい。
飛行機は悪天候のため羽田空港に向かう可能性があるとの条件付きでの運行だった。千歳と羽田ではまったく方向が逆だが,そうなったらなったでどうにかなるだろう。
さらに放送で「予報によると強い揺れが予想される。航行中シートベルト着用のランプが消えない可能性があるので,出発前にトイレを済ませておくように」との案内があった。かなり天候は悪いようである。
飛行機に乗り込むと,降雪のため新千歳空港の滑走路が1本しか使用できず,そのため離陸が20時30分以降になる旨の案内があった。
そうしているうちに,飛行機の翼には雪がどんどん積もっていく。翼に雪が積もった場合,防除氷を行わないと飛び立てない。防除氷を行っているその間に滑走路に雪が積もって今度は除雪待ち,そしてまた防除氷,というのを繰り返した挙句,結局欠航になったという経験がある。
客室乗務員は1名で乗務していたが,出発が遅れる中,飴を好きなだけ取ってくださいと乗客にふるまうなど,気丈に任務にあたっていた。
20時40分,「規定により乗務員が客室内から翼の上の着雪状況を確認する必要がある」との放送があった。客室から操縦席が見えないように前方のカーテンが閉められた後,乗務員がやってきて,翼の上の窓から懐中電灯で照らして外を確認していた。私の座席の窓には,雪がびっしりついてほとんど外が見えなかったが,本当に確認ができたのかどうかはわからない。
ともかく,出発することになった。
機内誌の1月号は青森特集だった。それにしてもこの「skyward」という機内誌は,どの記事をとってもまったく面白くない。違う世界の人たちが書いているもののように感じる。このセンスの違いは何なのだろう。
21時35分,50分遅れで新千歳空港に到着した。
ターミナルへはバスでの移動となった。